アラン・ドロン、24歳の瞳は未来だけを見ていた 秦早穗子さん寄稿

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 初めてアラン・ドロンに会ったのは、1959年。昭和34年。彼、24歳になったばかりの秋だった。

 私は、洋画の配給会社からパリに派遣されていた。その年の7月、ジャン=リュック・ゴダールの初長編「勝手にしやがれ」の20分の未完成フィルムを見て、買い付けを決めていた。

 「勝手にしやがれ」はヌーヴェル・ヴァーグが頂点を目指す作品であると確信したが、社会的位置を獲得するのはまだ先の事。会社員としては、次は、同じ若い世代を主題にしていても、より一般向けの作品を買い付けたいと考えていた。

88歳で死去したフランス映画俳優アラン・ドロンさんを、親交があった映画評論家の秦早穗子さんが追悼します。65年前、ドロンさんの記念碑的な主演作を配給会社の社員として買い付け、邦題を付けたのも秦さんです。太陽は一つなのに、なぜ「太陽がいっぱい」なのでしょうか。追悼文の後半で、その理由についても明かされています。

 20分で買い付けた話を聞きつけた製作者のアキム兄弟が、完成前の新作20分を見てほしいと電話してきた。パトリシア・ハイスミス原作の主人公トム・リプリーの映画だった。リプリーは完全犯罪を成し遂げ、富と地位を得る。ルネ・クレマン監督、アンリ・ドカのカメラ。20分のラッシュ(粗編集版)はまだ海の場面だけだった。「結末は検閲が厳しいから違う方法で、音楽はニーノ・ロータに決めた」とアキムは言った。

 社内の組織変更で、ピンチヒッターとして選ばれたに過ぎない私に、映画を知らないパリ側の役員は「貴女(あなた)は若すぎる。だまされている」と言った。それなら主演のアラン・ドロンに取材して、日本での可能性を検討したい。それまでの彼の映画は、俳優としては平凡だったからだ。日本の観客の一部はすでに彼に関心を示し始めていた。反対にお膝元(ひざもと)のフランスは、断然、個性派のジャン=ポール・ベルモンドに味方した。ドロンのような美男子は、そこらにいるタイプで、面白くないのだ。

 スイスのルガーノで会う約束…

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    小熊英二
    (歴史社会学者)
    2024年8月22日9時41分 投稿
    【視点】

    内容が濃い追悼寄稿。邦題の大胆さとあわせて、時代の勢いを感じさせる。

    …続きを読む