1世紀経た「コンプラ」の変化 近代五輪創始者の母国評価も様変わり

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編集委員・稲垣康介

 国際オリンピック委員会(IOC)がパリでの会議で誕生して130年、パリで五輪が開かれるのは1世紀ぶりとなる。近代五輪を提唱したフランス人、ピエール・ド・クーベルタン男爵の存在抜きに、今の隆盛はない。

 しかし、母国での評価は高くない。女性の参加に消極的だったため「女性差別主義者」のレッテルを貼られ、過去の発言から「植民地主義」の思想もかぎ取れる。

 子孫のアレクサンドラ・ド・ナバセルさんは「彼が生きていたのは女性はコルセットをつけ、運動も医師が禁じる時代でした」と擁護する。

 今年、話題を呼んだテレビドラマ「不適切にもほどがある!」では、昭和の時代から「コンプライアンス」が求められる令和にタイムスリップした男が、「時代錯誤」な言動を連発した。

 男爵が生きた1世紀前と今の…

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この記事を書いた人
稲垣康介
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