水・食料備蓄なし、感染拡大防げず 輪島の避難所「本部長」の怒り
能登半島地震で、少なくとも3人の被災者が避難所で新型コロナなどに感染後に死亡した。どこの避難所だったのかは非公表で、特定できていない。だが、初期の避難所についての証言を集めると、命が失われかねない状況だったことが浮かびあがった。
最大で617人が身を寄せた石川県輪島市の大屋小学校。市内に48ある指定避難所の一つだが、水や食料などの備蓄が一切なかった。
地震翌日の1月2日、被災者が持っていた水を分け合ったが、1人分はコップ半分ほどだった。コメも集めて炊いたが、1人分は握り飯ピンポン球1個分だった。
支援団体の記録によると、地震9日後の10日は昼食が焼き鳥の缶詰1個、夕食は乾燥米。11日の朝食はせんべい1枚だった。避難所を運営した住民の記録によると、29日の朝食はビスケットだった。
1月中旬には避難所内で新型コロナやインフルエンザ、ノロウイルスなどの感染症が広がり、約30人が症状を訴えた。3人が嘔吐(おうと)し、救急搬送されたこともあった。
避難所を運営したのは、被災者だった。避難所の「本部長」になった建具店社長の沢田英樹さん(62)は怒りを込めて、こう振り返る。
「せっかく助かった人たちを避難所で死なせたくない。自分たちの命は自分たちで守る。そんな思いで必死だった。でも途中でもう無理だと何度も思った。俺たちは見捨てられたのか、政府は何をやっているのかと」
段ボールベッドは2月になってから
1月1日夜、沢田さんは半壊…
- 【視点】
最近では台湾の避難所の充実ぶりが伝えられました。私はかつてイタリアの被災地で取材したことがあるのですが、民間の防災ボランティア組織により充実した避難所をすぐに設けられる仕組みがありました。サッカーグラウンドなどに家族単位で入れる大型テントが
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