【そもそも解説】小泉首相の北朝鮮訪問とは? 日朝交渉を振り返る
小泉純一郎首相(当時)が2004年に2度目の北朝鮮訪問を行ってから、22日で20年となります。これ以降、日朝首脳会談は実現せず、拉致問題も未解決のままです。小泉氏による日朝首脳会談などこれまでの日朝交渉を振り返ります。
――小泉氏の最初の訪朝の内容は?
小泉氏は02年9月17日、北朝鮮を訪れ、平壌で金正日(キムジョンイル)総書記(当時)との首脳会談に臨んだ。日本と北朝鮮との間には国交がない。日朝間の首脳会談は初めての開催だった。
北朝鮮側は首脳会談の直前、当時日本政府が拉致の疑いがあるとみていた人を含む14人について、「(横田めぐみさんら)8人が死亡、5人は生存、1人は入国していない」との調査結果を日本側に伝えた。金総書記は首脳会談で拉致を認めて謝罪し、「70年代、80年代初めまで特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行ってきたと考えている」と述べた。両首脳は国交正常化交渉の再開を柱とする「日朝平壌宣言」に署名。翌月、5人(地村保志さん・富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻、曽我ひとみさん)の拉致被害者が帰国した。5人は一時帰国の位置づけだったが、小泉氏らの政治判断により日本にとどめることを決めた。
――日朝平壌宣言にもとづく交渉はその後、どうなったのか?
両政府は首脳会談の翌月、マレーシアの首都クアラルンプールで国交正常化交渉を開いたが、日本政府が帰国した拉致被害者を北朝鮮に帰らせなかったことで北朝鮮側が態度を硬化させ、交渉は暗礁に乗り上げた。日本側も拉致被害者5人が北朝鮮に残してきた家族の帰国などを交渉再開の条件に位置づけた。
こうした事態を受け、小泉氏…
【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら
北朝鮮による日本人拉致問題
北朝鮮が1970年代から1980年代にかけて、大勢の日本人を北朝鮮に拉致しました。日本政府が認定した被害者は17人で、うち北朝鮮は13人の拉致を認めましたが、拉致された疑いが拭えない日本人失踪者はさらに多数います。関連ニュースをお伝えします。[もっと見る]