社会の変化に弱い子どもや個人 政治は守れているか 宇野重規さん
論壇時評 宇野重規・政治学者
私は政治学を専門とするが、政治学者として論壇時評を担当するにあたって、考えたことがある。いわゆる「政治」のことだけを取り上げない、むしろ「政治」の一歩手前から考える。どれだけ実現できているかわからないが、今も思いは変わっていない。
例えば「働く」ことだ。労働経済学の近藤絢子が、自らの専門と個人的経験を交えながら、就職氷河期世代を論じている(〈1〉)。1990年代半ばから2000年代初頭の、バブル崩壊後に10年余り続いた就職難の時期に社会に出た世代を指す。若年期に良好な雇用機会に恵まれなかった結果、今でも経済的に不利な立場に置かれている人が少なくない。
世代の前半はすでに50代になり、親のほとんどは後期高齢者になっている。実家住まいで何とか生活が回っていた人も多いが、これまで親に経済的に支えられていたのが介護する側に回り、あるいは親が亡くなって収入が途絶える事例も増えている。そもそも日本の社会保障は、就労しているが生活が苦しい「ワーキングプア」層への支援が薄い。より若い世代への就労支援と合わせ、氷河期世代のセーフティーネット拡充の指摘は切実である。
特別養子縁組、共同親権…誰のための制度か
社会環境の変化に対し、人間は脆弱(ぜいじゃく)である。しかしながら、たまたま時代の状況が悪かったからといって、結果をすべて個人の自己責任に押しつけて良いのだろうか。政治が考えるべき一つの焦点が、ここにある。
「子ども」もそうだ。経済学…
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