オッペンハイマーが人類にもたらした呪い 解くのは言葉による対話
神里達博の「月刊安心新聞+」
映画「オッペンハイマー」は、先月から本邦でも劇場公開が始まった。
本紙も含め、すでに色々なメディアがこの話題を取り上げている。そこで今回はまず、いわゆる「ねたばれ」にならない程度に個人的な感想を述べる。その上で、この作品に関連することのうち、逆に明示的には「描かれなかったこと」について、少し考えてみたいと思う。
まず、多くの識者が書いているが、この映画はオッペンハイマーの主観を強制的に追体験させるような作りになっている。この表現方法が選ばれたのは、原爆という、現在も政治的に扱いにくい存在を、称揚も否定もせず、ありのままに描くためだったとも考えられるだろう。
同時に、このスタイルは実は、近年の情報技術(IT)による、没入型のバーチャルリアリティー(VR)の体験にも近いように思う。これを映画という伝統的なメディアを使って表現しているのかもしれない。
ノーラン監督は「伝統主義者」を自称し、フィルム撮影にこだわる。また極力CGにも頼らない。だが彼も1970年生まれ、ゲームもパソコンも当たり前の時代を生きてきた人だ。ITの影響は無意識に深く浸透しているのではないか。
また個人的に何よりも巧みだと感じたのは、オッペンハイマーと、彼のいわば「宿敵」ストローズ、そしてアインシュタインが、池のそばで出会う重要なシーンである。これは、冒頭とラストにそれぞれ、ストローズとオッペンハイマーの視点で表現されている。
少し「ねたばれ」になるのをお許しいただきたいが、まずもってこのシーンは、ストローズとオッペンハイマーの関係悪化の原因の「種明かし」になっている。だが同時に、原子爆弾という存在が、私たちの生きる21世紀にもつながっている忌まわしい存在なのだという、重要なメッセージを伝える仕掛けでもある。
ともかく、できれば何度か見るとよい映画だと思う。見るたびに新たな気づきがある。
さて、オッペンハイマーが率いた核開発計画「マンハッタン計画」は、科学史的にはもちろんのこと、人類の歴史という観点からも、大きな転換点になった事件である。45年7月16日の初の核実験の「成功」から、広島・長崎の悲劇を経て、世界は冷戦になだれこむ。そしてキューバ危機など、本当に「破滅寸前」のところまで行ったのだ。その後少し緩和したが、世界が滅ぶかもしれないという陰鬱(いんうつ)な空気を私自身も覚えている。
そして20世紀の終わりにベルリンの壁が壊れ、刹那(せつな)、その軛(くびき)から放たれたかのように私たちは感じたものだ。だが、この10年くらいの間に、また時計の針が逆戻りしてしまったことは、誰もが否定し得ないだろう。この映画がアカデミー賞7部門に輝いたのも、やはり今が「そういう時代」だからである。
だがもしかしたら、「冷戦終結」なるできごと自体、実は幻影だった、などということはないのか。
映画では描かれていないが…
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- 【視点】
神里氏の論稿は読むといつも目からウロコが落ちて、なるほど!と手をポンと叩くのだが、今回のものはとくにウロコが3枚落ちるぐらい納得した。今の情報社会を陰陽師になぞらえたあたりなど、そうだよなっ!と叫んでしまったぐらいだ。 オッペンハイマーが
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