家族の一員としてともに暮らす犬や猫。足早に大きくなり、気づくとこの世での別れが近づいている。いとおしい家族を見送るのにどんな心の準備をし、別れをどう受けとめたらいいのだろう。私が飼うゴールデンレトリバーも14歳になり、病気のため一緒に過ごせる時間は短いと昨年末、獣医師に告げられた。いよいよかと、大阪公立大学獣医臨床センター特任臨床助教の今井泉さんに取材を申し込んだ。動物病院に勤務しながら、NPO法人の活動に携わり、飼い主の心の相談にのっているスペシャリストだ。
――うちの犬は急に悪くなり、10日前に死んでしまいました。あの子はうちに来て幸せだったのか。喜びをもらうばかりで、何もしてやれなかった気がしています。
一緒に楽しい時間を過ごされたのですよね。何かをしてやるという意識ではなかったはずです。「エサをやって、散歩してやった」ではない。「ごはんやおやつをあげて、一緒に散歩した」ですよね。家族である犬や猫たちと楽しく過ごせた日々がある。人の場合、どう生きるかが大切ですよね。それと同じではないかなと思います。
――飼い主の心のケアに関心を持つようになったきっかけはありますか。
10年余り、夜間救急診療で夜9時から朝5時までの勤務をしていました。2人の子育てをしていたころです。子どもを学校に送り出し、洗濯や掃除をして子どもたちが帰ってくるまで寝て、子どもの夕飯やお風呂をすませて出勤というライフスタイルでした。
その夜間診療の中で、動物が亡くなる場に多く立ち会いました。勤務を終えて病院のシャッターを閉める時、「今日は珍しく死亡来院がなかったね」というぐらい、動物が亡くならない日が少なかった。来院された時はもう呼吸をしていなかったということもよくありました。車で来られた飼い主さんが泣き崩れてしまって、帰すのが心配でお茶を出して落ち着くまでいてもらったこともあります。
そんな時、どんな言葉をかけたらいいのか。学びたいと思って、上智大学グリーフケア研究所(大阪サテライトキャンパス)に通いました。3年間で学んだ大切なことは、どう話を聴くかという姿勢でした。傾聴です。安心して話して下さることで、飼い主さんはご自身が見えてくるんですね。お話をうかがう私自身もケアしてもらっている感覚が常にあります。
ペットを亡くした思い ただただ聴きます
――NPO法人「いのちのケアネットワーク」を仲間とつくり、その中で「くぅくぅの会」を主宰されています。ペットを亡くした人たちが経験や気持ちを語り合う場ですね。
始めて5年以上になります。「くぅくぅの会」に来て「だいぶ荷物がおろせました。またかつぐのが重くなったら来ます」と言われた人がいます。印象的でした。最近ペットを亡くした方ばかりでなく、何年も前に亡くなった子の話をされる方もいます。いまは別の子を飼っていても、前の子のことを話したくなる。子どもの時に亡くしたペットのことをやっと話せたという人もいます。
私たちはただただお話を聴きます。NGワードは「その気持ちわかります」。わかった気になってはだめなんです。
「くぅくぅの会のお約束」があります。交通事故で亡くなった子と病気で亡くなった子では、急に亡くなった方が悲しいとか、そんな悲しみ比べはしないで下さいと。話せなければパスでOK。悲しみはそれぞれ、悲しみの表現の仕方もひとりひとり違うのです。
いつかは来るペットとの別れ。記事の後半では、今井さんがその時を前にした心構えや、今できることについて語ります。
――別れが近づいてきたと感…
- 【視点】
私自身、子どもの頃から犬を飼ってきました。振り返ってみると、60年近い人生の中で、犬のいなかった時期はたった10年ほど。つまり、何度も犬との別れを経験していて、犬の看病のために仕事をやめて無職のような状態になったことすらあります。看取るたび
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