「スタバで働こう」から18年 人生折り返しの46歳、宮崎で再出発

有料記事いつも、どこかで

若松真平
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 今から40年以上前、斉藤和子さん(64)は都内のアパレル関係の会社に就職した。

 店員からスタートし、バイヤーとして買い付けも経験。

 いずれはスタイリストになりたい、と思っていた。

 5年ほど経って業界に詳しくなったころ、スタイリストの給料の低さを知って戸惑った。

 当時は職業としてそれほど認知されていなかったし、手取りが少なくなるのは仕方がない。

 でも、宮崎から上京してきて家賃も払わなきゃいけないしなぁ……。

 どうしたものかと思っていた時、実家から電話がかかってきた。

 父が体調を崩したので地元に戻って働いてほしい、とのことだった。

 「ここはいったん宮崎に帰って、いずれまた上京しよう」

 そんな思いで帰郷したが、再び東京で働くことはかなわなかった。

 両親が猛反対したからだ。

 県庁や図書館の短期契約職員となり、地元のブティックでも働いた。

 だが、どうしても東京と比べてしまう。

 交通の便の悪さや、テレビチャンネルの少なさなど、何かと不満を感じてしまった。

 27歳の時、地元で出会った男性と結婚。

 娘を産んで、専業主婦になった。

スターバックスって何?

 娘が高校生になったころ、かつて一緒に働いていた友人からこんな誘いがあった。

 「宮崎市内にスターバックス…

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    中川文如
    (朝日新聞スポーツ部次長)
    2024年3月24日16時0分 投稿
    【視点】

    いきなり私事で恐縮なのですが、アラフィフの我が身を振り返ってみます。仕事こそすべて、みたいな感じでガムシャラに働いていた時期、ありました。いまも、働くことが、生きることの少なくない部分を占めていることに変わりはありません。でも、若い頃の馬力

    …続きを読む