地域の文化、残すには 陸前高田市立博物館は「オシラサマ」調査方針

三浦英之
[PR]

 震災後の2011年12月のことだった。

 岩手県大船渡市仮設住宅

 「コッコッコッ……」

 民宿「嘉宝荘」を経営する嘉志一世さん(72)が台所にいると、隣の居間で、木で床をたたくような音が聞こえた気がした。

 すぐに思った。

 「あ、オシラサマが歩いているのかな……」

 オシラサマは「遠野物語」でも紹介された、岩手や青森で信仰されている家を守る神だ。

 馬や娘などの顔を彫った長さ30センチほどの木の棒に、毎年1枚ずつ新しい着物をかぶせ、「アソバセル」。例年12月にオシラサマを「アソバセ」てきた嘉志家ではこの日、午前4時に起きて、お団子をお供えしたばかりだった。

 「ああ、オシラサマも喜んでくれているんだな」と嘉志さんはうれしかった。

 嘉志家のオシラサマは、全部で12体。木箱に入れて神棚の上に保管していたが、津波で自宅は全壊してしまった。震災後に訪れると、重いピアノや金庫は流されているのに、不思議なことにオシラサマの箱だけが神棚に残っていた。

 嘉志さんは、津波で汚れたオシラサマの着物を脱がせ、丁寧に洗った。数えてみると、それぞれ約90枚の着物を着ていた。

 「ご先祖様は約90年間、毎年着物を着せ続けてきたのだと思います」

 かつては自宅にイタコを招き、オシラサマの言葉を伝えてもらっていた。イタコは12体のオシラサマを両手に持ち、「○○が春先におなかを下すぞ」などと告げると、本当にそのようになったという。

 1896年の明治三陸津波では、オシラサマの入った箱が流されたが、「『そ(魂)があるなら、こっちさ戻ってこ』と呼びかけたら、戻ってきた」という言い伝えも残る。

 高台で民宿を再開した嘉志さんは今も、オシラサマを大切に保管し、毎年1枚ずつ着物を着せて「アソバセル」。

 「家を守り続けてくれている感謝の気持ちを込めて、これからもオシラサマを大切にしていきたい」

 岩手県立博物館の2008年の報告書によると、オシラサマの材質は桑の木が多く、県南には竹製もある。まつることを「アソバセル」と呼び、「一度拝んだら、一生拝まなければならない」という伝承もある。

 07年当時、県内でオシラサマを所有する家は1200軒超。陸前高田市(102軒)が最も多く、軽米町(92軒)、旧種市町(76軒)、釜石市(73軒)、遠野市(66軒)、山田町(60軒)、大槌町(59軒)と、北上山地や沿岸部に多く分布している。

 このうち、津波でどれほどのオシラサマが流されたのか。県立博物館の調査は行われていない。

 地域の文化を、いかに残すか。震災後の岩手の課題といえる。

 近藤良子学芸員(51)は「岩手には興味深い信仰が多く残るが、オシラサマはその代表例の一つ。震災後、どう変化したかの調査は必要だと思う」と話す。

 一方、震災前、県内で最もオシラサマを抱える家が多かったとされる陸前高田市は24年度にも、市立博物館が市内のオシラサマの現状を調査し、企画展を開催する予定だ。

 熊谷賢学芸員(57)は「震災前の調査では106軒という記録も残る。地域の大切な文化として、それらの現状を調査し、しっかりと展示でお伝えしたい」と話している。三浦英之

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【本日23:59まで!】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら