「人間がみんなやることをやって、はじめて音楽家になれるんです」 小澤征爾さん30年前のインタビュー
世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引した指揮者の小澤征爾さんが6日、心不全で死去しました。88歳でした。
1994年に朝日新聞夕刊に4回にわたって掲載された小澤さんのインタビュー記事を配信します。
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【1994年9月26日夕刊】
日本より海外での知名度が高い「サイトウ・キネン・オーケストラ」。その欧州演奏旅行に同行した。アテネ、ケルン、ザルツブルク。聴衆の熱狂は、すごいものだった。そして長野県松本市でのフェスティバル。
三十五年前、貨物船にスクーターを積み、身一つで日本を飛び出した二十三歳の小澤青年は、今年五十九歳になった。
ボストン交響楽団の音楽監督を二十一年。「おれはいま、寝ても覚めてもサイトウ・キネンだよ」という。そして「出来れば、日本に帰りたい」とも。
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小澤 考えてみたら、サイトウ・キネンの初日の前の晩はね、今まで一回も眠れたことないんですよね。
――「世界の小澤」にもそんなことあるんですか。
小澤 サイトウ・キネンの時だけです。僕は、ちゃんと勉強して自分のやり方でやれば通るだろうという変な自信というか、斎藤(秀雄)先生に教わったことがポケットにあるんです。ベルリン・フィルに行っても、ウィーン・フィルに行っても、そのポケットから出して使えば通用すると思ってやってましたからね。それが、まあ、支えでもあったわけですよ。そんなにいつも心配してたら、死んじゃいますからね。
――割合のんきにできるほうなんですか、普段は?
小澤 前の晩でも平気な顔してめし食ったり、映画を見に行ったり。サイトウ・キネンの時だけ全然眠れない。
――何が不安なんですか。
小澤 やっぱり、これで失敗…
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