セコマ会長、拓銀の破綻から学んだ教訓 大手コンビニにない存在感も
きょう、北のコンビニで:5(完)
半世紀以上前の1971年8月10日、今は住宅街となった札幌市北区の一角に、わずか15坪の店がオープンした。通りから見えるように「肉」「酒」と大きく書かれた紙が窓に貼り出された。
「コンビニエンスストア萩中」
前身は雑貨店だった。元オーナーの萩中末雄さん(87)が振り返る。「不安はあったけれど、赤尾さんの言うことだからね」
赤尾さん、と懐かしそうに呼んだのはセイコーマート(現セコマ)を創業した故・赤尾昭彦氏のことだ。二人三脚で始めた店は今や1187店、パートを中心に約2万人の従業員を抱える一大チェーンに育ち、「成功する」との願いを込めて付けた店名通りになった。
コンビニという言葉がほとんど知られていなかった半世紀前、雪印乳業(当時)の広報誌を読んでいた赤尾氏は、米国で成長していた新しい小売業を紹介する記事に目を留めた。
まだ道内の老舗酒類卸に勤める営業担当だった赤尾氏は、自分の会社の先行きに不安を覚えていた。道外企業との競争が厳しさを増していたからだ。
小売店を組織化して、売り上げデータを分析することで経営を近代化する――。コンビニが米国で成功した理由を見抜いた赤尾氏は、自分の取引先だった萩中さんに持ちかけた。
「雑貨店のときは、お菓子を量り売りしていたので人手がかかってね。棚に陳列すれば、お客さんがレジに持ってきてくれるコンビニは魅力だったね」
店内のレイアウトや商品の陳列の仕方も赤尾氏が考えてくれた。POSデータなどない時代、商品別の売り上げの把握に使ったのがレジに配された分類キーだった。
「ヨ・キ・ミ・セ・サ・カ・エ・ル」
ヨは青果、キは豆腐や牛乳な…
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