第3回同じ絵を描く日本の子たち パリに住んだ金原ひとみさんが抱く違和感

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聞き手・疋田多揚

 小説家の金原ひとみさんは2012年から6年間、パリで過ごしました。テロが起き、人種や国籍がまじりあうパリで、緊張感あるドラマチックな日常を生き、自身の物語の構想も影響を受けたそうです。なぜフランスを選び、どう生きたのか。聞きました。

――渡仏したのは東日本大震災の翌年でした。

 放射能や地震そのものの怖さもありましたが、抑圧的になっていた日本社会が耐えがたかったんです。たとえば「放射能を気にしている」と言えば「風評被害になる」と言われ、避難すれば「逃げられる人はいいよね」というような誹謗(ひぼう)中傷があって、自分の正しささえ、ぐちゃぐちゃになっているのに、人に何かを押しつけずにはいられないような社会になっていると感じました。距離を取って外側から日本を見てみたいと思ったんです。

「タブー破ってこそ芸術」 受け入れたパリ

――なぜフランスだったんでしょう。

 初めてパリに行ったときの印象がよかったんです。05年ごろ、(04年に芥川賞を受賞した)「蛇にピアス」がフランス語訳されることになって、パリに取材を受けに行ったんです。その前に行ったローマでは「悪い人たちが出てくる小説だ」みたいなレッテルを貼られたのですが、パリでは「小説はこうじゃないと」というアグレッシブな感覚が共有されていたんです。

 中学生の頃にバタイユの「眼球譚(がんきゅうたん)」にはまり、そこから派生して、(同様にフランスの作家である)ラディゲやサドの小説を読みましたが、そうしたタブーに挑んでいく文芸が受け入れられるところという認識があったのも大きかったです。

――最初は2人のお子さんと、3人で渡仏しました。

 1歳になったばかりの次女と4歳の長女と3人で、夫が来るまで1年半くらいパリで暮らしました。最初は日本人向けの幼稚園に子どもたちを預けることにしました。

――フランス語の準備はどうでしたか。

 英語が通じるだろうと軽くみていましたが、「あれ?」と(笑)。ボンジュール(こんにちは)とメルシー(ありがとう)くらいしか言えなくて。

 幼稚園で母親向けのフランス語教室があったので、そこで文法などの基礎を学んで、その後は家庭教師を頼んで話す方をメインに学びました。家に動詞の活用表なんかを貼って。

 ――フランス語の小説を読むことにもトライしたんでしょうか。

 「星の王子様」とか「悲しみよ こんにちは」にトライしてはあきらめて……。子どもがいると、まとまって読める時間がないので。

フランスと日本とで、小説の書きやすさに違いはあるか。金原さんにとって、書くとはどういうことか。記事後半で答えを紹介していきます。

「空気による個性の抹殺」

 ――子どもを育てる環境面で、日本とフランスの違いを感じることはありましたか。

 日本では人に迷惑をかけない…

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    島沢優子
    (ジャーナリスト・チームコンサルタント)
    2024年1月22日17時56分 投稿
    【視点】

    日本の幼児教室では、お絵描きするにも最初にテーマが決まっていた。それをどううまく描けるかを先生が教えてくれて、その通りにやっていくと「上手にできました」。 この話をしてくれたのは山中伸弥博士です。家族とともにアメリカの研究所に赴任した当時

    …続きを読む