道路寸断で届かぬ物資、携帯電話も通じず 不安の中で続く避難所生活

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西岡矩毅 福岡龍一郎 良永うめか 井上昇 村井隼人
【動画】輪島市での炊き出しに長蛇の列=田辺拓也撮影

 能登半島で起きた地震では、仕事始めとなった4日もなお、多くの人が避難所での生活を余儀なくされている。

 「本来なら今日から仕事だけど……」。4日朝、石川県珠洲市の森豊和さん(46)は声を落とした。震災で自宅は傾き、壁にひびが入り、両親とともに市役所に避難している。

 職場の縫製工場は、同じく被害の大きかった輪島市にある。会社からは「4日から9日は休んで」とショートメールで連絡があったという。「住まいのめどが立たず、このままでは仕事が始まっても手につかない。普通の生活に戻るのはいつになるのだろう」と不安を漏らした。

 市役所には3日夜の時点で、約100人が身を寄せていた。駐車場には車中泊をする人の姿も。市内は断水が続き、トイレの水も流せない。排泄物(はいせつぶつ)の臭いが立ちこめる場所もあった。

 同日午後6時48分ごろ、震度4の地震が起きた。テレビでニュース速報が流れると、70代の女性は「またか」とつぶやいた。隣にいた女性は「震度4じゃ何とも思わない。もう感覚がマヒしてきた」。

 ほどなくして水や湯で炊けるアルファ米とサンマの缶詰が配られた。女性は「温かいものを食べられてありがたい。でも、今日は水はもらえないんだね」とこぼした。

 「仕方がないけれど、物資が届かないのはつらい」。約700人が避難する珠洲市の宝立(ほうりゅう)小・中学校で3日夜、地元自治会長の多田進郎(しんろう)さん(69)はため息をついた。

 この時点までに届いた支援物資は、自衛隊の運んできた飲料水だけだった。この地域は通信が途絶え、携帯電話の電波がほとんど入らない状態が続く。「市と避難所の連携が取れず混乱しているように見える」と話す。

 1~10歳の3人の子を育てる30代の女性は「私の食料を子どもにあげても全然足りない。私はこの2日間、ほぼ何も食べていません」と話した。3日夜に提供された食事はカレー味のスープ1杯と菓子パン一つだった。

 輪島市の市役所。新年を祝おうと親類の家にいた女性(42)は、食事を用意しようという時に地震に遭った。2階部分の下敷きになり、はい出してここにたどり着いた。

 幸い無事だった親類たちと10人以上で避難しているが、同様に食料や水が足りない。親類の家に年末に買い込んでいた菓子などを取りに行っては、少しずつ分け合ってしのいだ。

 避難所の隅では、高校3年の…

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    浅倉拓也
    (朝日新聞記者=移民問題)
    2024年1月4日12時52分 投稿
    【視点】

    地震があって間もなく、大阪本社に電車で向かっていると、普段より空いた元日の車内には、やはり急きょ出勤になったとみられる人も見かけました。被災地でも消防や自衛隊はもちろんですが、様々なお仕事の方々が困難な状況のなかで被災者の救援に力を尽くして

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