西川美和が観たYAKUSHO 対照的な主人公、通底する社会の断絶

有料記事カルチャー・対話

映画監督・西川美和=寄稿
[PR]

映画監督・西川美和さん寄稿

 役所広司さんが今年のカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞されたニュースは、映画界にとって明るいニュースでした。

 私は2021年の「すばらしき世界」という作品に出演いただいたご縁がありますが、多くの日本の映画人が憧れ、共に仕事をすれば心奪われる役所さんという俳優が、世界で最も光り輝く国際映画祭の場で讃(たた)えられたことに心から満足しました。ようやくか、とも思いました。これまで今村昌平さんも、青山真治さんも、黒沢清さんも、三池崇史さんも、是枝裕和さんも、その実力をカンヌやベネチアで繰り返し証明してきたのに!と。

 でも、1997年の「うなぎ」のパルムドール受賞以来、世界の映画人は常に「役所広司」という存在を基軸にして日本映画の現在地をウォッチしてきてくれたのだとも思います。YAKUSHOは今どんな映画を選ぶのか、日本では何が映画で語られようとしているのか。そういう意味でも、すでに長年日本映画の「顔」として世界を駆け巡ってきてくれた存在でもあると思います。

 しばらくして「PERFECT DAYS」の予告編を観(み)た後輩が、「三上がトイレの清掃員に再就職してますよ!」と連絡をくれました。「三上」とは、役所さんが私の作品で演じてくれた主人公の名前です。罪を犯し、長い服役を終えて社会に出たものの、身寄りも仕事もなく、また半生をヤクザ者として暮らしてきたために一般社会の通念になじめず、それでもなんとか職を得て人生をやり直そうとした矢先に、持病の発作で命を落として映画は幕を閉じました。「亡くなったはずの三上が再就職?」とふしぎな思いを抱きながら試写を観せてもらうと、確かにまるで私の映画の主人公が手に入れた、別のかたちの幸福な人生譚(たん)のようにも見えました。

 東京スカイツリーの足元にひっそりとたたずむ古いアパートに、主人公の平山さんは一人で暮らしています。塵(ちり)ひとつない畳の上にあるのは一組の布団、文庫本とカセットテープ、小さな植物の実生の鉢植えたち。夜明け前に起き出して、仕事道具の積まれた軽ワゴン車を運転し、渋谷のトイレを清掃して回るのが彼の仕事です。明るいうちには帰宅して、今度は自転車にまたがると、銭湯に行って湯船に浸(つ)かり、浅草の地下の飲み屋で酎ハイを一杯だけ飲んで、古い小説を読みながら眠りにつく暮らし。

懊悩の塊と 天使のような存在と

 海外の作り手の切り取る日本の風景は新鮮に見えることが多いですが、長年写真を愛し、日本を愛してきたヴィム・ヴェンダース監督がスクリーンに映し出す東京は、暗さの中に浮かぶほのかな彩りが美しく、清澄です。コンクリートだらけのビル群や、蛇のようにうねる首都高速など、私たちにとってはすでに見るも憂鬱(ゆううつ)でかさついた景色も、すべて包み込むように愛(め)でられ、東京の光はまばゆく、平山さんの暮らしは誰もが真似(まね)したくなるほど整って見えるのです。

 私の映画の三上は、同じよう…

この記事は有料記事です。残り2650文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

Re:Ron

Re:Ron

対話を通じて「論」を深め合う。論考やインタビューなど様々な言葉を通して世界を広げる。そんな場をRe:Ronはめざします。[もっと見る]