戦国大名の黒田長政が築いた国の史跡・福岡城(福岡市)に残る「祈念櫓(やぐら)」。現在は解体保管中だが、江戸末期の木造建築物とされ、福岡県の有形文化財にも指定されている。だが実は、姿も部材も本来のものではないとの説が最近有力になっているという。40年近く「本物」としてお城に立っていたのに、どういうことなのか。
祈念櫓は幕末の1860(万延元)年に完成した2階櫓。本丸の東北隅に据えられ、「鬼門封じを祈念する」とその名がついた。
だが明治維新後に城は陸軍の管理下となり、1918(大正7)年に払い下げられて北九州市八幡東区の大正寺に移築された。戦後、文化財として城郭の価値が見直される中、福岡市の要望で寺から返還され、83年に元の場所に「当時の姿のまま」に再建された。
以来、見晴らしの良い石垣に立ち、福岡城のシンボル的な風景の一つになっていた。
しかしこの櫓、再建後から様々な疑問を呼んできたという。
大正初期に撮られた写真では、写っている櫓の壁は白しっくいだが、現在の櫓は板張り。窓の形状も異なるように見える。
櫓が立つ「櫓台」の面積に対し、祈念櫓の建坪が半分ほどしかない点も不自然だった。
謎がささやかれる中、石垣の修復工事のために櫓が解体された2019年、市史跡整備活用課が本格的に調査した。
福岡城に立つこじんまりとした櫓に、何があったのか。経緯を追うと、明治維新後に各地のお城がたどった不遇な歴史が見えてきました。
江戸時代の建物なのに
すると、使われている材木の…