第7回「首を斬る快感」を語るおやじが許せなくて 武田鉄矢さんと父の物語
おやじのことは、大っ嫌いでした。
目がギラギラしていて、不満があると大声を出して。それが全部、恫喝(どうかつ)するような口調なんです。復員兵で、骨の髄まで軍隊に染まった人でした。戦後はなんだか、不機嫌に生きていましたねえ。
戦争中は、フィリピンと中国北部の戦線にいたそうです。おやじいわく、「日本一勇猛果敢な連隊」だったんだとか。
記憶の中のおやじは、酒を飲んでは戦場体験を話していました。いや、語るなんてもんじゃなく、何というか「うめき」みたいなものかな。バラバラの断片の記憶が、お酒を飲んでうめき声と一緒に漏れてくる。そういう感じです。
「フィリピンの上陸作戦では、連隊の先頭を切って走った」とか、「マッカーサーを捜してバナナ畑をさまよった」とか。でもじきに、圧倒的な米軍の逆襲が始まるわけです。悲惨な経験もしたのでしょう。
戦中の価値観に染まり、酒に逃げる父と「関係を断ち切っていた」という武田鉄矢さん。当時は「トラウマ」という言葉も知りませんでしたが、父の苦しみに気づき思いは変化していきます。記事後半にはインタビュー動画もあります。
あるとき、渡河作戦の最中に流れ着いた戦友の遺体を踏んだそうです。博多弁で言うと、「靴がいぼる(埋まる)ったい、腹の中に」。内臓が腐ってズブっと腹に入るんでしょうね。その悪臭と無残さ。
捕虜になって、ネギばかり食わされたそうです。過酷な記憶がよみがえるのか、料理にネギが入っていると怒る怒る。
酒乱、家族への暴力
「中国の匪賊(ひぞく)のヤツらを、日本刀で何人か斬った」と自慢することもあった。首を切り落とす快感を話すおやじが、本当に嫌で嫌で。母ちゃんはおやじの横で静かに首を振っていました。おやじと周囲には、「断層」がありました。
彼の夢は、大日本帝国の勝利だったんです。敗北によってアメリカの時代がやってきて、それに対する不満と怒りが渦巻いていたんでしょう。おやじの戦後は、皇居前で正座したまま、その姿勢のまま終わっていったんじゃないですかね。
ところが、母は進駐軍の将校…
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- 後藤遼太
- 東京社会部|メディア・平和担当
- 専門・関心分野
- 日本近現代史、平和、戦争、憲法