『セクシー田中さん』誰がためのセクシー? 見られる性と主体性の間

照井琢見
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テレビ番組評「試写室」

 『セクシー田中さん』

 ★29日 日テレ系 夜10・30

 「経理部のAI」の異名を持つ田中さん(木南晴夏)には、同僚には秘密の裏の顔がある。実はベリーダンサーだったのだ。芦原妃名子の漫画が原作で、今夜が第2話。

 セクシーであること。それは何のためだろうか。商社勤めの笙野(毎熊克哉)は「男にこびを売るため」という価値観から抜け出せない。ペルシャ料理店でダンサー姿の田中さんを見て、「おばさん」「痛々しい」と言い放ってしまう。

 見る性としての男性。見られる性としての女性。根強く残るこの図式を田中さんはひらりと越える……とも言い切れないのが面白い。「見られる」ことを引き受けつつ、主体的にセクシーに。そんな田中さんの生き方に引き込まれる。

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    磯野真穂
    (東京工業大学教授=応用人類学)
    2023年10月29日9時7分 投稿
    【視点】

    >見る性としての男性。見られる性としての女性。 性別役割が大きく変わる中、必ずしもこの構図が成り立たない場面も増えてきました。 歌舞伎町での若者の人間模様を描いた、佐々木ちわわさんの『ぴえんという病い-SNS世代の消費と承認』には、SN

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