津山藩士の見た黒船 ペリー来航170年、津山洋学資料館で企画展

礒部修作
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 170年前、鎖国していた日本に突然、姿を現した黒船。幕末維新へと突入する契機になった大事件をめぐり、津山藩士らの活躍ぶりを紹介する企画展「ペリー来航170周年記念 描かれた黒船艦隊」が津山洋学資料館(岡山県津山市西新町)で開かれている。情報を収集するため直ちに現地に入り、巨大な軍艦の絵図も作成していた。

 資料館などによると、江戸時代は幕府が鎖国政策を守り続けていたが、1853年7月8日、アメリカ海軍のペリー提督が4隻の軍艦を率いて浦賀(神奈川県)沖に現れた。煙をもうもうと吐き出す巨大な黒い蒸気軍艦は人々を大変驚かせた。

 ペリー来航の報は、その日のうちに親藩だった津山藩の江戸屋敷に伝わった。少しでも正確な情報をつかもうと、現地に送られることになったのが藩士の箕作秋坪(みつくりしゅうへい)。3年前に藩医で洋学者だった箕作阮甫(げんぽ)の婿養子になっており、大役に抜擢(ばってき)された。

 企画展では、この派遣時に描かれた黒船の絵図や、軍艦の停泊位置が分かる絵図など計17点が展示されている。ペリー一行の上陸の様子を描いた絵図では、「御用」と書かれた旗の下で幕府側の役人らが座り、その横では上陸したアメリカ兵が隊列を組んでいる。近くには星条旗を掲げた小舟がいるのがわかる。

 アメリカ兵の服装を詳細に描いた絵図もあるが、秋坪は舟に乗って望遠鏡で兵士の顔色が分かるほど近づいて様子をうかがったとされている。

 アヘン戦争で中国が少数のイギリス軍艦に敗北したことを知っていた幕府。秋坪は、ペリーが持参したフィルモア大統領の親書を幕府が受け取ったことも藩に報告している。

 親書はオランダ語で書かれており、4日間をかけて翻訳したのが阮甫らだった。阮甫は外国の手紙や書物を翻訳する役職に就いていた。親書には開国と交易、漂流民の保護、石炭や水の供給などの要求が記されていたという。

 幕府はこの内容を大名や旗本に公開して意見を募ったが、多くの洋学者を抱えていた津山藩主の松平斉民は世界の情勢を正確に説いて「速やかに開国すべきだ」と主張。この意見には阮甫らの影響があったとされている。

 ペリーは翌54年に再来し、幕府は結局、この年の3月に日米和親条約を締結。日本は200年以上続けていた鎖国政策をやめ、開国した。

 秋坪はその後、幕府が初めて欧州に派遣し、兵庫の開港延期交渉などにあたらせた「文久遣欧使節」の一員に福沢諭吉らと共に選ばれ、外交面でも活躍した。

 阮甫の婿養子には箕作省吾もおり、アヘン戦争直後に世界地図「新製輿地全図(しんせいよちぜんず)」を作製。イギリスやフランス、ロシアなど列強諸国の植民地をカタカナの記号で表記しており、坂本龍馬吉田松陰ら幕末志士や思想家の世界観に影響を与えたとされている。箕作家の3人が幕末維新で果たした役割は極めて大きい。

 資料館次長で学芸員の梶村明慶さんは「外国の船を見たこともない江戸時代で、煙を吐く黒船を見た人たちは相当びっくりしたはず。資料を見て当時の混乱ぶりの一端を知ってもらえれば」と話している。

 会期は来年2月18日まで。月曜(祝日の場合は翌火曜)と祝日の翌日、年末年始は休館。入館料は一般300円、高校生・大学生・65歳以上200円、中学生以下無料。問い合わせは、資料館(0868・23・3324)へ。

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