神宮外苑はかつて帝国の中心だった 結びついたスポーツと天皇制

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 再開発が議論になっている明治神宮外苑には、秩父宮ラグビー場など、数多くのスポーツ施設があります。なぜ神宮外苑はスポーツと結びついたのか。近代日本のスポーツと、天皇制やナショナリズムの関係を研究する歴史社会学者の権学俊さんに聞きました。

 ――そもそも明治神宮外苑はなぜ造られたのでしょうか。

 「1912年7月に明治天皇が亡くなった後、当時の東京市長だった阪谷芳郎が中心となって、大日本帝国の中心である帝都・東京に、明治天皇を顕彰する施設を造る計画が立てられます。代々木御料地に明治神宮内苑、青山練兵場に外苑を造り、内苑は国費で、外苑は国民からの寄付を集めて造るという構想でした」

 「いわゆる『神宮の森』は、そのときにつくられた人工の森で、全国から約12万本の木が集められて植樹されたものです」

総力戦体制のため「スポーツの聖地」に

 ――明治天皇の顕彰のために造られた外苑が、なぜ近代日本のスポーツの中心地となったのですか。

 「計画の当初から、外苑に競技場を建設することが含まれていました」

 「第1次世界大戦で総力戦を…

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