第3回歴史的瞬間、首相に笑顔はなかった 元高官が語るオスロ合意の舞台裏
1993年9月13日、米ワシントンのホワイトハウス。クリントン大統領(当時)を前に、長らく戦火を交えてきたイスラエルとパレスチナのリーダーが握手を交わした。両者の共存を目指した「オスロ合意」調印式での、歴史的一幕だ。イスラエル側はイツハク・ラビン首相、パレスチナ側はヤセル・アラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長。両者が、ともに和平を目指す交渉相手として互いを認め合った姿は、喝采を浴びた。
でも、この瞬間を撮影した写真をよく見ると、笑顔のアラファト氏に対して、ラビン氏の表情は厳しい。当時秘密裏に進められてきた両者の交渉に携わっていた、イスラエルのヨシ・ベイリン副外相(当時)に聞いた。この合意は平和を導くと思っていましたか。あのとき、「30年後」をどう想像していましたか。
イスラエルのラビン首相とペレス外相、そしてPLOのアラファト議長は1994年、オスロ合意などで中東和平に貢献したことを理由に、ノーベル平和賞を受賞します。しかしその後、イスラエル・パレスチナの和平交渉は暗礁に乗り上げ、双方の暴力の応酬は現在まで続いています。
――あの調印式の瞬間、あなたはどこにいて何を考えていましたか。
ホワイトハウスの会場の片隅にいました。まずは何よりも達成感、そしてひそかに恐怖感を感じていました。いろいろな人がこの「成果」を喜び、私に握手を求めてくる。それがうれしくなかったと言えば、うそになります。私はペレス氏(元外相)とこの問題に取り組んできたわけですから。
一方で何に恐怖を感じていたかといえば、高揚感と期待感があまりにも高かったことに対してです。
「実はあの場に来たくなかった」
――ラビン氏のこの日の写真をいくつか見ましたが、クリントン氏やアラファト氏とは対照的に、厳しい表情ですね。
ラビン氏(元首相)は、実は…
- 【視点】
筆者です。オスロ合意の調印式が行われたとき、私は中学生でした。 ベイリン氏自身「失敗」と言っているように、オスロ合意について手放しで評価する人は、今ほとんどいません。こちらでは「オスロは死んだ」。また強いイスラエル寄りのスタンスを取ったト
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