「日本の中のブラジル」 群馬・大泉町が取り組んだ共生模索の30年

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岡田玄

 ある日を境に住み始めた外国人が、数年後には人口の1割になる。どう関わり、暮らしていけばよいのか。あなたの周りでこれから起きるかもしれない出来事に、30年近く前に直面した町がある。

 冷凍ギョーザが次々と作られていく。その機械の前で、キャベツを切るのはブラジル人、粉を運ぶのはベトナム人とフィリピン人……。群馬県大泉町にある味の素冷凍食品関東工場は、従業員約930人のうち、約300人が外国籍だ。

 日本人社員の宮沢裕之さん(50)がリーダーを務める製造ラインも9割が外国人だ。「入社したら先輩は日系人でした。相手が外国人とか考えていません」。総務部の田原和哉さん(47)も「どの国の人とも一緒に働く自信があります」と笑う。

 休みや終業後は一緒にカラオケでマイクを握る。休みには、ブラジル出身の同僚、塩田光恵さん(57)が企画するブラジル流バーベキューへ。コロナ前には、社員と家族200人が集まった。

 塩田さんはこれまで、いくつもの工場で派遣として働いた経験がある。「この工場で差別など感じたことがない」。ただ、かつては日系人に差別的な職場もあった。

 自動車関連の工場などが集まる大泉町では1980年代、働き手不足から倒産する工場が相次いだ。人手不足を補うために、中には、就労資格のない非正規滞在のイラン人やバングラデシュ人を雇う経営者もいた。だが、多くの工場経営者は「合法かつ安定的に」労働力を確保しようと協議会を結成。そこで着目し、受け入れを積極的に進めたのが、南米の日系人だった。

 折しもブラジルやペルー、アルゼンチンなどの南米諸国では、年率1千%を超すハイパーインフレに直面していた。

 89年に来日し、機械の組み立て工場で働いた平野ルイス章三さん(72)もその1人だ。ブラジル・サンパウロ市の青空市で鮮魚店を営んでいた。家と車を買えるほどもうかっていたが、ハイパーインフレで一転した。「ためていたお金が紙くずになってしまった」

数千万円の自宅をキャッシュで

 日本に出稼ぎに来た。だが…

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この記事を書いた人
岡田玄
東京社会部
専門・関心分野
中南米、沖縄、移民、民主主義、脱植民地主義