まさかの「万博クライシス」 二頭体制の維新、政権の重責堪えうるか
党勢拡大を続ける日本維新の会。世論調査の政党支持率はすでに「野党第1党」を確保して久しいが、幹部を含む所属議員の言動が物議を醸すことも多い。「創設者」が表舞台を去って約半年。果たして政権の重責に堪えうる政党になれるのか。
今年5月末、首相官邸の総理執務室で対面した岸田文雄首相に、普段はクールな維新共同代表の吉村洋文・大阪府知事が、焦りの色もあらわに訴えた。
「時間がタイトです。国、大阪府・市、建設業界が一体になって進めていかないと、開幕に間に合いません」
2025年4月の大阪・関西万博開幕まで2年を切っていたが、世界56カ国・地域が自費で設計・建設する「タイプA」のパビリオンの大阪市への許可申請はゼロ。焦る吉村氏に、岸田首相は「政府としてもしっかり対応しなければならない。こちらから関係省庁に号令をかけます」と応じた。
しかし、吉村氏の直談判から3カ月が経った今も、大阪市への正式申請はゼロ件のまま。「万博の華」である諸外国のパビリオン建設が開幕に間に合わなければ、失敗の烙印(らくいん)を押されかねない。
8月31日、政府はようやく重い腰をあげた。岸田首相は官邸に関係閣僚を招集し、予定通りの開催を目指すことを表明。政府主導で取り組むよう指示した。ここまで時間がかかったことに対し、維新幹部が「首相は万博に興味がないんだろう」と皮肉るほど、両者の間には温度差があった。
そもそも維新が万博誘致に成功したのは、当時の安倍政権との間に「蜜月関係」があったからこそだ。特に、橋下徹元代表とともに維新を創設した当時の松井一郎・大阪府知事と菅義偉官房長官のパイプは太く、政権の全面バックアップを受けて、大阪は18年11月に万博の開催地に決定した。
維新はこれを実績としてアピールし、松井氏の後継に立った吉村氏が翌19年の府知事選で圧勝。ニューリーダーとしての地歩を固めた。維新は大きな果実を手に入れたかのように見えた。
だが、安倍政権を継承した菅政権は21年秋にわずか1年で退陣し、岸田政権が発足すると、歯車が狂い始める。菅氏は非主流派に甘んじる日々が続き、松井氏も今年4月に政界を引退。政権とのパイプは細っていった。
そして今年7月、パビリオンの「建設申請ゼロ」とのニュースが流れると、「(万博を)最後まで責任を持ってやり遂げたい」(吉村氏)としていた維新側の言い回しに変化が生じた。
「国の万博推進本部のトップ…
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