山中に放棄された鉄道トンネルが伝える関東大震災 軍事的な経緯も

重政紀元
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 関東大震災から100年がたち、千葉県内ではほとんど残っていない大災害の「爪痕」を伝える遺構が、南房総市の山中に眠っている。千葉市館山市を結んだ鉄道のトンネルで、被災後に使用されなくなった。いまは地元の人以外ほとんど知られていない存在で、地域の伝承に活用しようという動きも出ている。(重政紀元)

 ビワ畑が点在する南房総市富浦の山林。JR内房線の鉄橋をくぐって進むと、トンネルの入り口が見える。同線の前身、国鉄北条線の旧南無谷トンネルだ。現在、トンネルの入り口は水没している。

 同線は蘇我(千葉市)と現在の館山駅にあたる安房北条(館山市)間が1919年に完成。4年後の関東大震災では、橋脚の崩壊や機関庫にあった機関車や貨車が転覆するなどの被害を受けた。中でも全長736メートルの同トンネルの崩落について、国鉄は「千葉鉄道管理局史」の中で最大の被害に挙げている。

 影響は大きく、「安房全土をほとんど絶海の孤島に似たる状態に陥れた」(県安房郡発行「安房震災誌」)一因になった。約3カ月後に仮復旧されたが、近くに新たなトンネルを建設し、旧トンネルは完成から8年ほどで山中に放置された。石碑などを除けば、県内で震災の被害を伝える大規模な遺構としては数少ない存在とされる。

 なぜ、仮復旧をしたのに、その後は使用されず、放棄を余儀なくされたのか――。現地には保田層群というもろい地層があり、「ボーリングなどの準備が不十分のまま工事が進められた可能性が高い」。南房総市富浦地区の自然や文化を紹介する「NPO富浦エコミューゼ研究会」の事務局を務める酒井和夫さん(72)は推測する。

 拙速な工事が進められた理由は、「軍の要請」と考えている。背景にあるとみられるのが館山地区の軍都化だ。1930年以降、海軍の館山航空隊、砲術学校などが設置され軍都としての性格を強めていく。「北条線の建設も東京湾防御を急ぐ軍の意向が大きかった」

 元公務員の酒井さんは92年に同研究会を立ち上げ、毎月1回、地域の歴史や自然を紹介する体験教室を開いてきた。参加者は延べ約1万2千人に上る。同トンネルも定期的に採り上げて、地域の子どもや移住者たちに伝えている。

 「震災を経験した人はほとんどいなくなったが、この遺構を見るだけで被害を想像できる。歴史の証人として重い存在だ。きちんと残してほしいし、私も伝えていきたい」

崩落対策 現代も深刻な問題

 トンネルの崩落対策は現代でも深刻な問題だ。老朽化や施工不良など原因は様々で、管理者は点検、補修に追われている。

 君津市内では2015年12月、国道410号の松丘隧道(ずいどう)で、1カ月前に吹き付けたばかりのモルタル23・5トンが落下。市内では13年にも大戸見隧道で同様の事故があったばかりだった。鉄道ではJR内房線で08年、モルタル片が落ちて車両の窓ガラスが割れた。

 国土交通省は14年度から、トンネルや橋について5年間に1度の点検とともに、対策の必要度に応じて4段階で評価するように義務づけた。県内では367のトンネルが対象となり、緊急措置が必要なものが4、早期措置が必要なものが96と判定された。だが、この措置が必要な100トンネルのうち21年度年末までに工事が完了したのは30にとどまる。

 対応が進まない要因の一つが費用面だ。管理するトンネルが県内最多の君津市では、措置が必要なトンネル11に対し着手したのは3にとどまる。「緊急性が高いトンネル工事が拡幅も伴うものとなり、工費がかかっている。国補助は55%しかなく、予算には限りがあるため順次着手していくしかない」(道路整備課)

 もう一つのネックが自治体の技術系職員の不足だ。国交省の調査によると、全国の市町村の土木部門の職員は1996年から約20年で3割近く減少。技術系職員がいない自治体は約4分の1に上っている。

 対策として、自治体は人工知能(AI)やドローンといった最新技術を使った点検の導入を急ぐ。千葉市はドローンによる点検の実用化のために産業用ドローンメーカーに協力し、数年前から実証実験を続ける。

 トンネル内では人工衛星を活用した位置利用サービスのGPSが使えないことが課題だったが、可視光カメラとレーザーを使って、安定した飛行を可能にすることを目指す。同市は「インフラ維持の課題解決に役立つ大きな意義のある挑戦で、今後も積極的に支援していく」(国家戦略特区推進課)としている。

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