関東大震災で千葉・館山でも甚大な被害 「言い伝え」で救われた命も

堤恭太

 100年前の関東大震災では、千葉県館山市でも市中心部の建物の9割以上が倒壊するなど、甚大な被害が出た。その記憶は、東京を中心に10万人以上が犠牲になった中で埋没してしまい、あまり知られていない。当時の市の様子を後世に伝え防災に役立てようと、企画展「関東大震災と館山」が市立博物館で開かれている。

 関東大震災は1923年9月1日に発生した。地震の規模を示すマグニチュード(M)7・9の巨大地震が関東地方を襲った。館山市内の被害は、建物全壊5935戸、焼失417戸、死者727人、負傷者1885人に及ぶ。

 企画展では当時の被災者無料診療の看板といったものから写真、パネル、記録文書など約150点で被害の様子を伝えている。特に建物の被害状況は街の写真店が撮影した写真などが残っており、目の当たりにすることができる。

 震災前、震災直後を比較した写真をみると、にぎわっていた街が一瞬にして消失した様子がよくわかる。地形も変わり、船で行き来していた高ノ島との間が隆起して干潮時には歩いていけるようになったり、沖合100メートルが砂浜になったりした様子が写真や地図で示されている。

 震災後、比較的被害が小さかった近隣の地域から青年団約5千人が救援活動に来たことが記録されている。一方で、地方の救援、復興が東京などと比べて遅かった実情を訴えている文書も残されている。

 当時の北条税務署の角替延太郎が残した文書によると、「県の当局が盛んに東京の救済に力を尽くして、我子の房州の被害が顧られなかったと云う非難は大分高かった様でありました」と記してある。

 津波の被害も大きかった。相浜では9メートルの津波で70戸が流され、洲崎も6メートルの波に襲われた。しかし、驚かされることに津波による直接的な犠牲者はいなかったという。市内では1703年の元禄地震の津波で多くの犠牲者がでたことから供養碑が各地に残されている。「地震後に海が引いたら大きな津波が来る」という言い伝えも住民の間に浸透していて、関東大震災の際も高台に逃げたからだという。

 同博物館主任学芸員山村恭子さんは、「そうした言い伝えは各地で聞くことができた。関東大震災の被害もこの企画展で後世に伝えて防災につなげていきたい」と話している。

 企画展は10月9日まで。月曜日休館。博物館の入場料が大人400円、小中高生200円。9月2日午後1時半から学芸員による展示解説会、10月1日には講演会や震災の足跡を実際に巡る講座などが開かれる。(堤恭太)…

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