様々なハイブランドとコラボレーションを重ねてきた藤原ヒロシさん(59)は、10代の頃から世界各地のキーパーソンと交流を重ね、そうした人間関係を築いてきたことが後年の人生につながり、「種まきが実った」と語る。初めて渡英した当時はおぼつかない英語力のままの10代だったというが、どのようにして語学力を磨き、人脈を築いたのか。
【三重県出身で1964年生まれの藤原ヒロシさんは82年に渡英して現地の音楽関係者らと交流を始める。DJとして活動し、80年代には伝説的音楽レーベル「メジャーフォース」に参画。これまで数々のミュージシャンの作品をプロデュースし、ファッションの世界でも大手ブランドと協業した商品が即完売するといった状況が長年続いている】
――18歳の時にロンドンを訪れた理由は?
買い物です。ヴィヴィアン・ウエストウッドの洋服を買いたいと思って行った。(観光地の)ロンドンブリッジを見たいとは思わなかったですね。あの時代には現地に行かないと見られない、買えないものがたくさんあった。だから現地を訪れ、色んな面白い人と仲良くなって交流しました。当時は店に行くとヴィヴィアン本人がいましたし、(そのパートナーでセックスピストルズのマネジャーだった)マルコム・マクラーレンにも話しかけて。日本での上下関係とは違う、当時のロンドンの「横のつながり」を体感しました。
【語学力を身につけるために大事なことは「目的」だと藤原さんは言う。海外の友人たちと交流し、互いを理解するため、藤原さんは結果的に語学力を身につけていった】
――当時から英語は話せたのですか?
その頃には全然話せなかった。電子手帳も何もない時代でしたから、一番小さな辞書を常に持ち歩いてました。でも、英語ってパズルみたいなところがあるじゃないですか。知ってる言葉だけで何とか文章を作ったり、新しい単語を知ったら使ってみたり。外国の歌や映画も身近だったので、割とそうした英語学習を楽しんでいたかもしれない。身についていく過程も面白かった。
――今の時代でも、若い人が語学力なしに海外に飛び込んでいって、そこで人間関係を築けると思いますか?
そこは変わらないんじゃないですかね。僕は英会話の塾も行ったことがない、高校もろくに行っていなかった、ただの高卒なんですが、割とすぐに、ある程度は話せるようになりました。だから、「英語は話せたほうがいいから、子供を留学させる」という話を聞くと「なんだかなあ」と思ってしまう。語学だけのために留学なんてしなくていいし、勉強だと考えると逆に嫌いになるかもしれない。子供だって、話したくなれば英語を話すようになると思います。
キーパーソンになった友人たち、多くは当初「無名」だった
【海外を訪れたことや、自分…
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