第1回抜け殻になった父は、語らず世を去った 歴戦の兵士の心が壊れるまで

有料記事戦争トラウマ 連鎖する心の傷

後藤遼太
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 1本のホームビデオがある。

 「おじいちゃん、ピースしてくれ。早くしてくれよう」

 幼い男の子の無邪気な声に、無言で目をそらす白髪の男性の姿が映る。

 黒井秋夫さん(74)の父・慶次郎さんの晩年の姿だ。「無気力で、そこにいるかいないかも分からないようなおやじでしたよ」。もはや「抜け殻」と呼ぶしかないような人間だった、という。

 黒井さんは山形県庄内地方の小さな村で生まれ育った。両親と兄、弟の5人家族。

 生活は常に苦しかった。中国戦線からの復員兵だった父は、定職に就かず日雇いの現場を渡り歩いた。

 異様だったのは、父が家族とさえ口をきかなかったことだ。自分から言葉を発せず、問われれば一言二言、単語をかえすだけ。悲しげな困惑の表情で黙り込み、笑顔など見せたこともなかった。

 近所の子どもは「六尺おやじ」と呼んだ。六尺(1・8メートル)の言葉通り、確かに大柄だったが、親しみを込めた呼び名でないことは子ども心にも分かった。むしろ、侮蔑の響きがにじんでいた。

 「うどの大木……、言ってみりゃ、『でくのぼう』ってことですよ」

 奨学金で大学に進んだ黒井さんは学生運動に身を投じた。社会人になると、しゃにむに働いた。「あんな男だけにはなるまい」。その一心だった。

 晩年まで誰とも口をきかず、家に引きこもった父は、1990年に77歳で亡くなった。黒井さんは涙一つ、流さなかった。「何の感情もわかなかったんだ」

 父を思い出すこともなく、年月が過ぎた。

【連載】戦争トラウマ 連鎖する心の傷

悪夢、酒浸り、家族への暴力――。過酷な戦争体験からトラウマを抱え、後遺症に悩む旧日本兵たちの存在は置き去りにされてきました。ようやく語れるようになった子や孫の証言から、連鎖する心の傷の問題を考えます。

 「父は…中国人を殺さなかったはずがない」

 2015年末、黒井さんはふとしたきっかけで、ベトナム帰還兵のドキュメンタリー番組を見た。

 アレン・ネルソン(故人)。18歳で海兵隊に入り、ベトナムで多くの敵兵を殺害して四つの勲章をもらった。

 帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむようになる。毎晩のように悪夢で戦場の記憶がよみがえり、家族を怒鳴りつけた。ホームレス生活も経験し、立ち直るまで18年かかったという。

 何年も忘れ去っていた父の顔…

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    長島美紀
    (SDGsジャパン 理事)
    2023年8月15日11時20分 投稿
    【視点】

    デーヴ・グロスマンによる『戦争における「人殺し」の心理学』では、戦闘における殺人とは何か、殺人への抵抗感を薄め、殺人に至るまでの具体的な反応段階が、様々な記録に基づいて詳細に検証された後、ベトナム帰還兵のPTSDについて紹介されています。同

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    永田豊隆
    (朝日新聞記者=貧困、依存症、社会保障)
    2023年8月12日14時33分 投稿
    【視点】

    敗戦直後の日本はPTSD(心的外傷後ストレス障害)の人であふれていたのではないか。その人たちはどうトラウマを乗り越えたのだろうか。 長年、私はそのことに大きな関心を持ってきました。背景には、複雑性PTSDの妻と向き合ってきた個人的な体験が

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連載戦争トラウマ 連鎖する心の傷(全17回)

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