検察側、裏金づくりの「起源」は明かさず 事務局長は「深く考えず」
自民党派閥「清和政策研究会」(安倍派)による裏金づくりは、いつ、どのような形で始まったのか。事務局長の初公判で検察は、慣例として続いてきたとしつつ、その「起源」は明らかにしなかった。事務局長自身は法廷で反省の言葉を口にした。
安倍派事務局長の松本淳一郎被告(76)は、派閥で引き継がれてきた裏金づくりの運用を踏襲していた――。検察側はこの日、公判で立証する内容を明らかにする冒頭陳述で、そう指摘した。
冒頭陳述によると、100人近い国会議員が所属していた安倍派では、政治資金収支報告書の作成を事務局職員が担っていた。事務局長は会計責任者として、職員が作成した原案を確認、了承する立場だった。
派閥の活動資金を捻出する政治資金パーティーでは、各議員にパーティー券の売り上げノルマが課されていた。券には1枚ずつ番号が振られ、事務局は派閥口座への入金ごとに、どの議員を通じて販売されたパーティー券かを把握。さらにデータベース管理ソフトを使ってノルマ超過分を算出し、派閥事務所で議員秘書らに現金で渡すなどして「還流」させていた。
そもそもノルマ超過分を議員側が派閥口座に入金しない「中抜き」も許容されていた。還流分も中抜き分も、収支報告書には記載しないのが安倍派の慣例だった。
2019年2月に就任した松本事務局長は、これらが虚偽記入になるという認識はあったものの、それまで発覚しなかったことから前任者から説明を受けた通りに継続した、と検察側は主張する。
「遅くとも十数年前、場合によっては20年以上前から行われていた」。組織的な裏金づくりの開始時期について、自民党は2月に公表した調査報告書でそう指摘したが、検察は今回の冒頭陳述では一切触れなかった。
疑問への答えを検察はなぜ示さないのか――。
ある検察幹部は、今回の起訴…