「雑誌読み放題」のアルバイトから天職に 30年続けて感じた使命
「休み時間に雑誌が読み放題」
その一言が人生を変えた。
小林恭子さん(51)は、子どもの頃からとにかく活字を読むことが好きだった。小説、雑誌、漫画、辞典……。自分の知らないことを知ることが楽しくて、毎年、誕生日とクリスマスには親にねだって、雑誌を買ってもらっていた。
ライターや編集者にあこがれ、高校卒業後は専門学校へ。文章実習を担当する講師が授業中に、あるアルバイトを紹介してくれた。雑誌がとにかく大量にあり、休み時間は雑誌が読み放題だという。
なんてすばらしい所なんだろう――。
授業が終わると、講師のもとに駆け寄った。
講師から渡された名刺を持って行った先は、雑誌専門の図書館「大宅壮一文庫」(東京都世田谷区)だった。評論家の大宅壮一氏が残した雑誌や書籍をもとに1971年に自宅跡地に設立された図書館。現在の所蔵は80万冊にのぼる。
こんな空間があるのか……。これまでにない高揚感を味わっていた。
一つ一つ記事を読みつくる「索引」
20歳からアルバイトとして働き始めた。3カ月ほど経って手がけるようになったのが、「索引づくり」の仕事だった。
索引は、利用者がキーワードで検索し、資料を引き出せるようにするためのもの。一つ一つの記事を読み、内容を理解した上でつくっていくアナログな作業だ。
索引づくりが始まったのは56年。大宅氏が執筆で使う資料を探しやすくなるよう整理するために、アルバイトたちが、索引をつくったことから始まったと言われている。
当時は手のひらの大きさほどのカードに記事のタイトルや雑誌の種類、出版年などを手書きやスタンプで記していた。2002年に、データ化した索引システム「Web OYA―bunko」が開設され、現在でも使われている。
最初は、本を出したり、利用者の対応をしたりしながら索引をつくっていたが、22歳のころに索引の専従スタッフに。以来、索引づくり一筋。この道、30年以上の大ベテランだ。
「時代を記録する作業、とめてはいけない」
索引をつくることは、「時代」を目撃することでもあった。
中でも忘れられないのは、1…
- 【視点】
「重要か重要でないかは誰が決めるんだね?」という大宅氏の謙虚な言葉に、記録者の気迫が見えました。長い長い歴史を見据えた言葉で、背筋が伸びる思いです。 この索引を作ってきた「職人」たちの頭の中にこそ、AIに代替できないレガシーがあるのだと思
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