2011年3月の東日本大震災で事故が起きた東京電力福島第一原発から数キロ以内の沿岸で、肉食性の巻き貝(イボニシ)に生殖異常が起きている。本来なら夏場に繁殖するはずなのに、年中盛りがついた状態になっている。原発事故で放出された放射性物質と生殖異常との関連は薄いという。広島大学と国立環境研究所の研究グループは、イボニシの脳の中で働く遺伝子の変化に着目し、解明を目指している。

 「福島第一原発近傍で観察された巻貝の生殖異常のメカニズム解明」。そんなタイトルで3月、広島大学東広島キャンパスで記者説明会が開かれた。

 広島大学大学院統合生命科学研究科の森下文浩助教や今村拓也教授をはじめ、オンラインで国立環境研究所生態系影響評価研究室の堀口敏宏室長が参加した。

 日本各地の沿岸部に生息するイボニシ(体長2~2・5センチ)。同原発の近くでは事故直後にほぼ消滅したが、周辺から新しいイボニシが入ってきて個体数が回復した。

 しかし、本来は繁殖時期ではない季節も含め、年間を通じて繁殖可能な状態が続く「通年成熟」が17年から観察されるようになった。同原発から数キロの沿岸に生息するものに固有の現象という。

 イボニシに何が起きていたのか。

 研究グループは同原発から南約1キロの福島県大熊町の沿岸でイボニシを採取。最先端機器でイボニシの脳内の遺伝子を解析した。脳内の約6万個の遺伝子を特定し、さらに生殖や恒常性を調整する「神経ペプチド」をつくる88個の遺伝子を突き止めた。通年成熟のイボニシは正常な個体と比べ、神経ペプチドをつくる遺伝子の働きが低下していた。遺伝子そのものに変異はなかった。

 遺伝子の働きを調節するシステムに不具合があるのでは――。研究グループはこの「エピゲノム調節」と呼ばれる仕組みに注目して調べた。その結果、調節に関わる「遺伝子スイッチ」が、イボニシの脳内で持続的に「オフ」の状態になっていたという。

 通年成熟はこの「スイッチのオフ」によりイボニシの脳内で特定の物質の分泌が抑えられて起きたことになる。原発事故による環境の変化が、遺伝子そのものを傷つけなかったとしても、遺伝子スイッチの働きを混乱させて生殖活動に重大な影響を与えていたことを意味する。

 どういった環境要因が引き金になったかはわかっていない。ただ、研究グループは、原発事故で放出された放射性物質と生殖異常との関連は薄いとみている。国立環境研の堀口室長は、原発周辺の放射性核種の濃度は卵巣に影響を与えるレベルとは考えにくいが、一方で、一般的に全否定する科学的根拠もまだ得られていないとも語る。

 研究グループは、生殖異常のメカニズムの究明は、生殖異常の原因を調べる上で重要なポイントだとし、引き続き研究を続ける。今回採用した最新のDX(デジタルトランスフォーメーション)技術を駆使した手法についても応用先を広げたい考えだ。(編集委員・副島英樹)

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