「中央」との非対称性 震災・戦争・復興を問う「東北」のまなざし

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西田理人
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 東日本大震災の爪痕が残る東北沿岸部で表現活動を続ける志賀理江子さん(1980年生まれ)と竹内公太さん(82年生まれ)。国内外で注目を集める2人の気鋭のアーティストは、「歩く」という日常的な営みを起点に、災害と復興、戦争と記憶といった巨大なテーマに対峙(たいじ)する。

 東京都現代美術館で開催中の志賀さんと竹内さんの2人展「さばかれえぬ私へ」は、中堅作家を対象とした現代美術賞の受賞記念展だ。展示の英題は「Waiting for the Wind」。2人の作品の中では、ともに風の存在が重要な位置を占める。

「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」は、6月18日まで。月曜休館、入場無料。

「復興」が私を打ちのめした

 エスカレーターを上がって最初の展示室では、志賀さんの新たな映像作品「風の吹くとき」が、幅31メートルの壁に投影されている。暗闇の中、ぼうっと青白く照らされた女性の顔。ニュース番組のリポーターのように、マイクを手に語りかける。「私たちは今、海と陸の境に建てられた、長い道の上を歩いています。そしてこの体には、強い風が吹いています」

 2008年に宮城県の沿岸部に移り住んだ志賀さんは、11年に被災。本作で語られるのは、「この12年間で私が見聞きしてきたことの集積、色々な人の言葉や思いが詰まった物語」だ。

 かつて東北の地で繰り返された飢饉(ききん)の原因となったのは、海から吹く北東風「やませ」や天災だけではなかった。その背景にはいつも、稲の単作や過酷な年貢の徴収を強いる中央政権の支配と搾取があった。「中央」と「東北」の非対称な関係性。津波に襲われた土地に都市の巨大資本が獣のように群がる「復興」の過程で、それは再び浮き彫りになった。

 「震災のショック以上に私を打ちのめしたのは、圧倒的な力で推し進められる『復興』だった。さらに先へと進み続ける、この近代とはいったい何なのかという問いに、私はいつもぶつかっていた」と志賀さんは話す。

 途方に暮れて、何も手につかない。更地になった土地や新しく築かれた防潮堤の上をただただ歩いた。だがそうしていると、「どんなに複雑な思いを抱えていても、何か違う思考が生まれてくることがよくあった」という。

 そこから、防潮堤の上を歩く…

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