「苦海浄土」のように世界をつなげた 作家・姜信子さんが語る谺雄二

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 詩人・谺(こだま)雄二は2014年、82年の生涯を終えた。ハンセン病患者たちに向けられた偏見と対峙(たいじ)し、人権闘争に捧げた人生だった。谺は若かりし頃、大江満雄が率いた詩集「いのちの芽」に参加し、こう言葉を刻んだ。「鳥は飛ばなければならぬ。獣は地を這(は)わねばならぬ。僕は、歩かねばならぬ」――。谺たちにとって、「いのちの芽」に加わることは何を意味したのか。晩年の谺と交流し、彼の詩文集を編纂(へんさん)した作家の姜信子さんに聞いた。

――晩年の谺雄二さんと交流し、多くの言葉を記録してこられました。かつて参加した「いのちの芽」について、どのような話を

 実は谺さんから「いのちの芽」について直接的に話を聞いたことはありません。けれど、詩集を率いていた大江満雄さんに関する思い出は、たくさんうかがいました。

 多磨全生園から栗生楽泉園に移った谺さんが詩話会を立ち上げた際に、講師としてまず群馬県の詩人に手紙を出したけれど返事ももらえず、全生園の頃から交流のあった大江さんにお願いしたところ、「それは私がやるべき仕事だ」と、快諾してくれたのだそうです。単なる教養講座を超え、様々な文学者や(哲学者の)鶴見俊輔さんらを招いた、命をかき立てるようなものだったと言っていました。

 大江さんの生涯における仕事は、一言で言えば「つなげる」ことだったのだと思います。彼の影響を最も強く受けた一人が谺さんであり、「つなげる」試みにおける一番最初の宣言が、大江さん、谺さんたちにとっては「いのちの芽」だったのでしょう。

――詩集が出てそれで終わり、ではなく、そこからむしろ、大江さんとハンセン病患者・回復者の方々との縁は深まっていったということでしょうか

 「いのちの芽」は、らい予防…

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