模索続ける横浜・寿町の変容つづる 本格的な通史、当事者の目線から

佐藤善一

 「日雇い労働者の街」と呼ばれた横浜市中区の寿地区。戦後からの街の移り変わりをまとめた本格的な通史が刊行された。行政や支援者など様々な立場で寿町の関わってきた人たちが活動を振り返り、当事者目線で描いた。

 「横浜寿町~地域活動の社会史~」(社会評論社)は、有志の研究グループ「寿歴史研究会」が執筆、編集した。上下巻からなり2年近くかけて作業を進めてきた。研究会のメンバーは地元自治会や元市職員、元港湾労働者、支援者ら。高度経済成長やバブルの崩壊、格差社会の拡大など、社会情勢や景気の影響をもろに受けてきた寿町のありようを記録した。手弁当の活動を支えたのは「寿町の歴史を若い世代に伝えていきたい」という思いだった。

 「共に生き抜いていくための模索を続けてきた地域である。寿地区での60年余りの実践史は必ずや私たちに未来社会の原型を示してくれるという思いが私たちにはある」。巻頭で、研究会代表で沖縄大名誉教授の加藤彰彦さん(81)は寿町を取り上げる意義を強調した。

 繁華街に近い約300メートル四方の寿地区。戦後、一帯はGHQによって接収されたが、1954年から段階的に返還された。全国から港湾や土木の日雇い労働者が集まり、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が次々に建設された。

 労働者の増加に伴い、青少年相談センターや寿生活館が開設し、行政も支援に力を入れた。加藤さんは小学校教諭を経て、72年から10年間、寿町生活館担当の市職員として最前線で住民に接してきた。加藤さんは「住民と一緒に考えて日雇いで稼いだ金を預かる夜間銀行を作ったり、無料診療所を整備したり、知恵を出し合った。日雇いは景気が悪化すると仕事がすぐなくなる。今の非正規雇用も同じ構造。寿の取り組みを教訓にしてほしい」と話す。

 70年代のオイルショック、90年代のバブル崩壊などで日雇いの求人が激減。仕事を失い、街に路上生活者や高齢者、病人などが増えていき、労働者の街は福祉の街に変容していった。

 作家の山崎洋子さんは、2001年にホームレス支援を掲げて寿町に誕生したNPO「さなぎ達」について書いた。マスコミには一切顔を出さず、設立から運営まで裏で取り仕切ってきた男性ホームレス「Yさん」の一端を紹介した。

 「見栄えのする容姿、快活な立ち居振る舞い、行動力、愛嬌(あいきょう)のある笑顔」。そんな彼に引き寄せられ、医師や学者、文化人、学生が寿町に集まってきた。彼が中心となってみんな集える場も作り上げたという。

 山崎さんが寿町に足を踏み入れるきっかけもYさんだった。しかし、Yさんは裏でNPOの寄付金や補助金を使い込み、08年に寿町を去った。さなぎ達は18年に活動を終えた。

 「ひどいこともしたが、Yさんが寿町に多くの人を呼び込んだのは事実」と山崎さん。「横浜には様々な歴史がある。寿を『暗』のように言う人がいるが、横浜ベイブリッジ建設など一番危険な場所で支えたのは寿にいた人たち。でも名前が残るのは偉い人ばかり。『明』をつくったのに、そこはおかしいと思う」

 各2860円(税込み)。問い合わせは、ことぶき協働スペース内の寿歴史研究会事務局(045・323・9019)。

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 出版記念シンポジウムが3月4日午後1~4時に開かれる。元環境事務次官でソーシャルファームジャパン理事長の炭谷茂さんの「日本社会の構造変化と課題~寿町の歴史を踏まえ~」と題した記念講演などがある。「寿から社会へ伝えたいこと」をテーマにした対談には、東京断酒新生会の浅井光代さん、寿地区自治会の村田由夫さんらが参加する。

 3月11日午後1~4時にはフォーラムをオンライン開催。横浜市大大学院客員教授の野田邦弘さんを進行役に、寿日雇労働者組合の近藤昇さん、ワーカーズコープ神奈川事業本部事務局長の鳴海美和子さん、寿歴史研究会の小川道雄さんが労働と福祉について語り合う。

 参加無料。両イベントともオンラインのみ募集。締め切りはシンポが3月2日、フォーラムが同9日。横浜市ことぶき協働スペースのホームページから申し込む。問い合わせは同スペース(045・323・9019)…

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