「引き金を引くな」と空自パイロットに告げた指揮官 専守防衛とは
安全保障政策を大転換すると訴える岸田政権。他方で、専守防衛の原則は変わらない、とも言う。一体、専守防衛とは何だったのか。冷戦期のソ連の脅威と前線で向き合った経験のある航空自衛隊の元第7航空団司令・林吉永さんは、スクランブル発進するパイロットたちに「引き金を引くな」と言っていたという。専守防衛のリアリティーとは。
冷戦下の対ソ連 要撃管制の現場で
――1965年から99年まで航空自衛隊に所属し、幹部として冷戦下でソ連の脅威と向き合ったのですね。周辺空域を監視して危機に対処する要撃管制という任務を歴任しています。
「要撃管制では、日本の領空に接近・侵入してくる航空機を地上のレーダーサイトで発見し、戦闘機を緊急発進させるのか地対空ミサイルで対処させるのかを決めます。戦闘機をどの地点でどの角度から目標の航空機に接近させるか、火器の種類を考えながら誘導しました」
――中国や北朝鮮にかかわる安全保障上の危機がいま指摘されていますが、冷戦期の前線を知る元指揮官の一人として、現状をどう見ていますか。
「危機感は当時の方が大きかったと思います。大韓航空の民間旅客機がソ連の戦闘機に撃墜されて269人が亡くなったり(83年)、日本領空を侵犯したソ連機に自衛隊機が初めて警告射撃をしたり(87年)、一つ間違えば戦争になる事件が実際に相次いでいたからです。あのときのソ連は大量の核兵器を持っていただけではなく、厚い『壁』の向こうにもいました」
「今が最大の危機であるという認識は作られたものではないかと私は思っています。戦争になるぞという時代精神が浮上し、非戦という発想が後景に退いていることが心配です」
――87年の警告射撃事件の際は、現場にいたそうですね。
「沖縄県内の基地にいて、戦闘機を緊急発進させました。ソ連機が領空侵犯し、自衛隊機が警告のための信号射撃をしたのです。毎分4千発を撃ち出す機銃で、実弾の中に曳光(えいこう)弾が含まれていました。上層部が決めた射撃指令をパイロットに伝えたのが我々の基地でした」
「私は射撃指令に反対で、のちに意見具申をしました。もしソ連側が攻撃をされたと誤解したら、自衛隊機が攻撃され、戦争に発展してしまう恐れがあったと訴えました。事件が起きたのは、ソ連機が大韓航空機を撃墜したわずか4年後です」
相手に先に撃たせろ そう告げた真意
――90年代に第7航空団司…
- 【視点】
心に残った記事の一つです。 もはやこのような自制が英雄視される余地は少なくなったように思いますが、「相手に先に撃たせることで初めて、こちらが攻撃を行う正当性が確立される。。。相手に先に撃たれて脱出することは批判をされるし恥辱でもあるだ
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