実の娘ですら聞けなかった 高校生が掘り起こしたビキニの真実

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蜷川大介

 歴史に埋もれた核問題を、掘り起こした高校生たちがいた。

 米国によるビキニ水爆実験の被災者調査など、約40年前から核や被曝(ひばく)の問題に取り組んできた「幡多高校生ゼミナール」の活動を伝える本が、昨年末に出版された。核実験の被害者支援を定め、2021年1月に発効した核兵器禁止条約が後押しした。その活動は水爆実験から70年近く経った今も、東京と高知で続いている元漁船員や遺族が国などを相手取った裁判で触れられ、語り継がれている。

 1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で米国が実施した水爆実験で、静岡県焼津港のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝した。高知の漁船員たちは同じ洋上で被曝しながら、風評被害や偏見を恐れて口を閉ざしていた。

 幡多ゼミは83年、高知県西部の公立9校(分校を含む)の高校生と教員が集い、平和問題などを学ぶサークルとして発足した。

 85年、長崎に投下された原爆により被爆した若者がビキニでも被曝し、自死していたと聞いた。

 「水爆実験の被害者は他にもいるのではないか」

 89年までの5年間、ビキニ周辺で被曝した県内のマグロ漁船員を訪ねた。教員たちが漁船員を探し、生徒たちが話を聞きに行った。30年の時を経て訪ねてきた高校生たちに、漁船員は体験を語ったのだ。

 この活動は、90年にドキュ…

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この記事を書いた人
蜷川大介
高知総局
専門・関心分野
事件、司法、地方自治。過疎・人口減の取材も進めます。