第2回自衛隊初の海外派遣 「武力行使でない」との政治決断に至るまで

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 1990年8月にイラクが隣国クウェートに侵攻して始まった湾岸危機では、国際紛争の現場で日本にどんな「人的貢献」ができるのかが問われ続けた。

 91年1月中旬に米軍中心の多国籍軍が介入して湾岸戦争が始まり、2月末にクウェートを解放。そこで日本はペルシャ湾の機雷を除去するため、自衛隊初の海外活動となる掃海艇派遣に踏み切った。その判断に至る経緯が、2022年末に公開された数々の「極秘」文書につづられている。

 湾岸危機勃発後に海部俊樹内閣が探った「人的貢献」は頓挫を重ねていた。海部が米大統領ブッシュに説明し、評価された自衛隊派遣のための国連平和協力法案は憲法論議も絡み、90年11月に廃案に。自衛隊機による避難民空輸は91年1月に政令改正までしたのに実施できていなかった。

 駐米大使の村田良平は、外相中山太郎への3月14日付公電でこう批判した。

 「多くの米国行政府や議会人からは、日本は結局実行する気のないことを口約束だけしたのだと冷たく受け取られている」

 「自衛隊輸送機による難民輸送の件が米側に強い期待はずれの感を味わわせた。(掃海艇派遣は)昨年8月以降人的貢献を行えなかった我が国に対する評価を挽回(ばんかい)する絶好の機会だ」

外務省は2022年12月21日、湾岸戦争やソ連崩壊などが起きた1991年の出来事に関する外交文書を公開しました。米ソ対立の冷戦が終わり、国際社会が新秩序を探る中で激しく動いた年。日本外交の舞台裏を映す文書とともに振り返ります。

「公海での掃海派遣は…」 根拠に用いた政府答弁

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