「ホームレス歌人」「獄中歌人」…… 短歌でたどる時代と人生

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佐々波幸子
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 朝日新聞の短歌投稿欄「朝日歌壇」には、時代を映した短歌を詠み、強い印象を残す投稿者がしばしば現れる。記憶に残る投稿者たちが三十一文字(みそひともじ)に託した思いと、歌にのぞく人生をたどった。

「ホームレス歌人」の消息

 朝日新聞デジタル上で公開が始まった「朝日歌壇ライブラリ」には、1995年5月下旬から2022年6月までの朝日歌壇の入選作品から約5万首が収録されている。作者名を指定して短歌を検索できる「作者検索」の機能を使い、「ホームレス歌人」として話題を呼んだ公田耕一さんの名前を入力してみた。

 画面に並んだ30首近くの作品を古い順に見ていくと、次の歌が最初に出てくる。

 《(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ》(08年12月)

 この年の9月、米国の大手証券会社、リーマン・ブラザーズ経営破綻(はたん)をきっかけに世界的な金融危機が起こった。日本でも派遣労働者の解雇や雇い止めが広がり、年末には仕事を失った人たちに食事を提供する「年越し派遣村」が東京・日比谷公園に開設された。

 《パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる》(09年1月5日)

 《日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る》(09年1月)

 公田さんは毎週のように入選を重ね、朝日新聞の社会面に「ホームレス歌人さん、連絡求ム」と題した記事が載った。朝日歌壇の選者が「真に迫る、知的な歌」と注目し、投稿には「住所明記」の規定があるものの、「住所という存在証明を持たないホームレスという立場は実際にある。排除すべきではない」と考えが一致したことや、選外で載らなかった《百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞》といった歌が紹介された。

 当時、朝日歌壇は月曜朝刊に掲載されていた。カップ麵(めん)を我慢しても歌を取る姿が浮かぶ、と担当記者はつづった。後日朝日歌壇に載った次の歌は、この記事への返歌だ。

 《ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ》

 だが、「ライブラリ」の画面に並んだ歌を見ると、公田さんの作品は09年9月の紙面で途絶えている。公田さんの歌が掲載されたのは、わずか1年にも満たない期間だった。

 「ライブラリ」で特定の言葉を含む短歌を検索する「単語検索」機能で公田さんの名を詠み込んだ作品を探すと、投稿が途絶えた後に公田さんを案じる歌がいくつも届いたことがわかる。

 《店先で話し弾めり公田氏の安否気遣い客帰りゆく》渡部栄子(10年3月)

 《公田さん居ること願い炊出しの冷麺くばる寿(ことぶき)地区センター》大須賀理佳(10年7月)

アメリカの「獄中歌人」

 公田さんがまだ入選を重ねていた頃、海外から届いた一首が公田さんの歌と並んで掲載されたことがある。

 《囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉想いつつ食(は)むHOTMEALを》郷隼人(09年3月)

 郷隼人さんはアメリカの「獄中歌人」として朝日歌壇の読者に知られている。郷さんの短歌を「ライブラリ」で検索すると、400首を超す歌が並ぶ。

 《鹿児島は今頃きっと梅雨ならむあの鬱陶しさがいまは恋しき》(10年7月)

 《我を待ち八十四年の人生に三十年待ち逝きましぬ母》(11年1月)

 異国の獄中という制約のある環境で詠まれた望郷の念や母への思いが痛切な印象を残す。だが、郷さんの作品の掲載も18年9月で途絶えている。

 それから3年が過ぎた21年9月、郷さんの近況が米国在住の歌人から届いた。

 朝日歌壇の紙面のコラムで「…

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