元寇船の謎、解明なるか 木製いかりを引き揚げへ 長崎県の鷹島沖

有料記事

編集委員・中村俊介
[PR]

 鎌倉時代に襲来したモンゴル軍の元寇(げんこう)船が沈む長崎県松浦市の鷹島沖で、市が木製のいかりの引き揚げ作業を進めている。謎に包まれた歴史的大事件の解明のほか、海に眠る沈没船の保存や、その活用法の確立に向けた試みとなる。

 鎌倉時代の13世紀後半、モンゴル帝国の大船団は「文永の役」(1274年)と「弘安の役」(1281年)の2度にわたって北部九州に押し寄せたが、予期せぬ暴風で船団は壊滅し、多くの船が海に沈んだとされる。

 船団が集結した鷹島沖では1980年代から断続的に調査が続いており、2011年に沈没船の本体を確認。翌12年、一部海域が海底遺跡として初の国史跡になり、松浦市は水中考古学研究センターを設けるなど沈船研究と活用法を模索してきた。

 このほど地元の漁業協同組合と連携協定が結ばれ、調査環境が整ったため、将来の沈没船本体引き揚げの可能性も見据え、10月1日、水深約20メートルの海底で確認されているいかりの一つを引き揚げることにした。

 木製いかりには、重しとなる棒状の石を2個組み合わせる二石型と、1個だけの一石型の2種類がある。鷹島は前者のみと考えられてきたが、13年に一石型が見つかった。

 今回の対象はこの一石型の残…

この記事は有料記事です。残り814文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません