「若狭湾です」 拉致被害者が実感した帰国 斎木・元外務次官に聞く
小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記(いずれも当時)が平壌で会談してから17日で20年がたちました。この20年、何があったのでしょうか。長年、北朝鮮との交渉に携わってきた斎木昭隆・元外務事務次官に聞きました。
――日朝首脳会談から1カ月後の2002年10月、北朝鮮から拉致被害者5人が帰国しました。
帰国に先立つ02年9月末、担当参事官だった私は5人の方々が本当に拉致被害者本人かどうか確認するために訪朝しました。事前に日本のご家族と面会し、「足に傷がある」「くせはこうだ」といったことを聞いていました。その情報をもとに5人の方々に質問したところ、みなさんの答えはご家族から聞いていた情報とまったく同じでした。
そして、私はチャーター機に同乗し、一緒に帰国しました。機内では自席から5人の様子を見ていました。平壌空港を飛び立った後は、みなさんの表情は硬くなり、会話もありませんでした。日本の上空にさしかかり、機長が「下に見えるのが若狭湾です」とアナウンスすると、みなさんが窓に顔をつけて下を見て、すごく喜んでいました。「日本に戻ってきた」と実感したのだと思います。
――外務事務次官だった14年3月には、拉致被害者の横田めぐみさんの両親と、めぐみさんの娘ウンギョンさんがモンゴルで面会しました。
日本側が拉致問題をめぐる北…
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- 【視点】
拉致問題に深く、かつ長くかかわってきた立場からの誠実なインタビューだろう。 ただ、最もひっかかるのは、17日付の社説でも触れた、拉致被害者の田中実さんと知人の金田龍光さんの生存情報だ。 斉木さんは、北朝鮮がその内容を盛り込んだ調査
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