エリザベスとチャールズ 名前でたどるイギリス王政史 近藤和彦さん

有料記事エリザベス女王

寄稿
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 イギリスのエリザベス女王が死去し、チャールズ3世が王位を継承した。イギリス史の泰斗で東京大学名誉教授の近藤和彦さんに、歴代国王の名前から想起されるイギリス王政の歴史を数百年の時間軸で見通してもらった。

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 エリザベスという女王は、イギリス史上に二人いた。

 エリザベス1世の即位は1558年。日本は戦国時代、ヨーロッパも信教と主権をめぐって争いの絶えない時代であった。ローマカトリック(旧教)とピューリタン(聖書主義)との血で血をあらう争いが、ドイツあたりから各地へ広がっていた。きょうだいの死と混乱をへて即位したエリザベスは25歳、聡明(そうめい)で人文教育をうけ、周囲に人を得た君主であった。16世紀の国際力学のなかで、短慮の父ヘンリ8世とちがって、彼女は慎重にことを進めた。治世のキーワードは「中道」である。ローマカトリックとピューリタンという二つの非寛容をしりぞけ、両方の要素をとりいれた「国教会」を確立した。

 毛織物などの産業、海外貿易と植民、そして貧困をめぐる問題は引きも切らないが、全国からの請願を議会で審議して、法律とし、国民的コンセンサスを得ようとした。内憂外患の続く45年間が治まったのは、有能な忠臣と国教会、議会のお陰でもあるが、ちょうどユーラシアの長い成長期にあったことも大きい。イギリス人航海士ウィリアム・アダムズが日本に漂着して徳川家康に謁見(えっけん)したのは1600年、関ケ原の戦いの直前であった。

 後半では、チャールズという名の王をめぐる波乱の歴史をひもときます。

 エリザベス治世に成立した法…

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