沖縄知事は基地問題にどう向き合ってきたか 50年の歩みを振り返る
木村司
地上戦や長い米軍統治を経験し、いまなお過重な基地負担を抱える沖縄にあって、そのリーダーの決断や言葉は、注目を集め、ときに日米関係にも影響を与えてきた。日本に復帰して50年の年。11日に迫る知事選投開票を前に、歴代知事の歩みを見つめたい。
戦後初の沖縄県知事となったのは屋良朝苗氏だ。
屋良氏が選挙で沖縄のリーダーに選ばれたのは米軍統治下の1968年。住民の悲願だった「主席公選」(当時の琉球政府のトップ、行政主席を住民が直接選ぶ選挙)が実現し、沖縄の「即時無条件全面返還」を掲げた屋良氏が、本土の自民党が支援し、復帰を時期尚早とした西銘順治氏を退け、当選を果たした。
翌69年11月、日米は「72年沖縄返還」に合意。多数の米軍基地が残されたままの復帰が明らかになるなか、屋良氏は71年11月、住民が真に求める復帰像を「復帰措置に関する建議書」としてまとめる。しかし、政府や国会に届けるため建議書を携えた屋良氏が上京した日、沖縄返還協定は衆院特別委員会で強行採決された。
72年5月15日、復帰とともに知事となった屋良氏は、復帰記念式典のあいさつでこう述べた。
「復帰の内容をみますと、私…