博多一口餃子生んだ「最後の大陸浪人」 戦前戦後を駆ける数奇な人生

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編集委員・大鹿靖明

 真武(またけ)信幸という人がいた。博多一口餃子(ぎょうざ)で知られる福岡市・中洲の宝雲亭の創業者。戦前は馬賊にあこがれ中国大陸に渡り、戦後は一転インドネシアで現地の教育にかかわった。明太子(めんたいこ)の「ふくや」グループがこのほど宝雲亭を傘下に収め、8月、博多駅地下に新店「餃子食堂 宝雲亭」をオープンした。そこに「歴史を大切にしたい」と創業者の息子を招いた。

 真武家に「真武信幸先輩の聞き書き」と題されたリポートが残されている。修猷館(現・修猷館高校)後輩の元福岡県職員、大島泰治さん(84)が真武氏の数奇な半生に興味を覚えてまとめたものだ。

 それによると、真武氏は1916年に生まれ、修猷館を卒業後、馬賊にあこがれて35年、旧満州(中国東北部)に渡った。「実態は盗賊に近かったらしいが、ロビン・フッドのような義賊と思ったのでしょう」と大島氏。

 結局、馬賊にはならなかったが、蒙古実務学院というモンゴル人の学校で日本語や算数を教え、夜は逆にモンゴル語を学んだ。さらに蒙民習芸所の責任者として織物など技術教育にかかわった。

 それでも冒険の夢を絶ちがたく、残された「聞き書き」や卒寿の集いの冊子によれば、日ソ両軍が衝突したノモンハン事件では遊牧民のテント式住宅パオで暮らし、モンゴル人のふりをして諜報(ちょうほう)活動のまねごとをした。

 第2次世界大戦の敗戦時には…

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この記事を書いた人
大鹿靖明
編集委員
専門・関心分野
経済、歴史、人間、ジャーナリズム、ロック