天皇の控室「後殿」か、藤原宮跡で基壇を確認 奈良文化財研究所
清水謙司
日本初の本格的都城(とじょう)とされる奈良県橿原市の藤原京(694~710年)の中枢部・藤原宮跡で、天皇が重要儀式の際に出席する大極殿の北側から、建物の基壇(土台)が見つかった。後の平城宮、平安宮にも置かれた天皇の控室「後殿(こうでん)」がここにあった可能性が高く、古代日本の宮都構造の変遷を考える上で重要な発見という。奈良文化財研究所(奈文研)が4日、発表した。
大極殿は即位や元日朝賀などの儀式で天皇が出席する場所。藤原宮には、大極殿を中心に回廊で囲んだ東西約120メートル、南北約165メートルの空間「大極殿院」があった。今年5月以降、奈文研が大極殿があったとされる場所のすぐ後方(北側)の565平方メートルを調べると、東西約14メートル、南北約15メートル分の基壇を検出した。
基壇の東西両側には、回廊(大極殿後方東回廊、同西回廊)があったとされている。基壇の上に細長い建物が存在していたと考えられ、回廊はそれに取り付く軒廊とみられる。過去の調査結果なども踏まえると、建物の基壇は全体で東西約50メートル、南北約16メートルに復元できるという。
藤原宮の後の平城宮(奈良)…