米国を旅した日章旗、喜べなかった返還 「生きた証し」に心が動いた

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福田純也
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 「伯父が生きた証し。日の目を見せてあげたい」。南洋の米国領・グアム島で戦死した奈良県大淀町出身の兵士が出征で持参した日章旗が、8月3日に同町文化会館で始まる企画展「戦争の記憶・2022」で公開される。7年前、戦地で持ち去った米兵の子孫から親族のもとにひっそりと帰ってきた。あるわだかまりから人目に触れるのをためらってきたが、心が動いた。

 戦死した兵士は城剛(じょうつよし)さんで、親族はおいの城秀樹さん(70)=同町芦原=。秀樹さんや町教委によると、剛さんは陸軍歩兵第38連隊(奈良市)の軍曹として日本が占領したグアム島の守備隊に派遣された。1944年7月21日に上陸した米軍の総攻撃で最激戦地となったアガット湾で戦死、25歳だった。

 それから70年経った2014年、米アトランタの日本総領事館副総領事宛てに手紙が届いた。差出人はノースカロライナ州ウィルミントン市のトレーシー・B・プルーイットさん。19歳の上等兵だった父のW・E・プルーイットさんが上陸後の接近戦で負傷した後の夜、剛さんが犠牲になったこと、日章旗を「希望の旗」と呼んで敬意を示してきたこと、44年から2015年まで米国内を「旅した」ことが記され、持ち主への返還を「光栄に思う」と結んでいた。

 手紙は総領事館で日本語に翻訳され、国、県を通じて15年2月10日、折りたたまれた日章旗とともに秀樹さんのもとに郵便で帰ってきた。

 旗は縦68センチ、横84センチ。日の丸の右側に「祈武運長久為城剛君」とあり、「大阪府九條警察署西村雄次郎」を含めて27人が寄せ書きしている。地元芦原地区の人の名はなかった。剛さんが出征前に大阪の米屋で働いていて、その当時の警察ゆかりの人らに出征が決まり激励されたらしいという。

「興味本位で人目に」 送らなかった礼状

 プルーイットさん父子ら米国…

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