知らずに密入国、50年日本で暮らす男性が今、入管へ向かう理由

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渡辺七海
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 カラオケのにぎやかな音が漏れていた。大阪府内の商店街の一角で男性(63)が営む10坪もないこぢんまりした飲食店は3月22日夜、まん延防止等重点措置が解除されて客足が戻っていた。穏やかな笑顔でサラリーマン風の客を迎えた。別の酔客とは野球の話で盛り上がる。

 この街に住み、40年近く。貧しさからはい上がり、商売人としても顔が通る。だが、事情があり、知り合いの多くに自身のルーツを明かせていない。

貧しさにあえぎ、親戚に誘われ、知らずに密入国

 1959年に韓国の全羅南道で生まれた。兄姉7人の中の五男。父は早くに亡くなり記憶はない。母も小学生の時に亡くなった。兄弟を頼ってソウルに移ったが貧しい生活だった。小学校に通いながら、映画館でアイスキャンディーを売った。それでも貧しさから通えなくなった。

 先の見えない中、親戚に日本行きを誘われた。「ガラス工場で、『運び』(材料を釜まで運ぶ仕事)をしないか」

 「日本に行けば、技術を身につけて帰れるかもしれない」。そう期待してうなずいた。

 だが、日本行きの道は想像もしなかった方法だった。パスポートも持たずに集められ、夜中、隠れるように小舟に乗った。言われるまま停泊していた中型貨物船に乗り込むと、窓もない船底に数人と押し込められた。入り口には釘が打たれた。1日2食。ごはんにみそ汁をかけたものが出された。「どうなるのか、悪いことではないのか」。頭は疑問でいっぱいだった。

 朝、到着したのは大阪の港。不法入国だった。すぐにレンズ加工工場や喫茶店の店番として働いた。身元がばれないように、職場と銭湯、家を行き来するだけ。自由はなかった。

 ついには違法なゲーム賭博の店番をさせられるようになった。ドアの鍵をしめて、インターホンが鳴ったらあける。子どもでも、おかしいと分かった。

 「そんなことさせるために日本によんだのかなって。こうなったら捕まって、帰ってみるわ」。右も左も、日本語もまともに分からないまま、親戚の家を飛び出した。16歳の時だ。

周囲の助けで「正社員に」、泣く泣く断るしかなかった

 「悪いことに加担してしまった。抜けたい」。喫茶店の客に相談すると、小さな紡績会社での仕事を紹介してくれた。さらに、自身の名字を使わせてくれた。「なんなら養子縁組したいくらいや」と冗談でも言ってくれた。

 工場では九州から来た季節労働者という設定で、言葉の不自然さは鹿児島弁で通した。

 2年ほど働くと、「正社員になってくれ」と言われた。泣く泣く辞めるしかなかった。

 身分証明書が出せなかったか…

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