第2回「世紀の発見」から50年 高松塚古墳に残る謎
50年前に「世紀の発見」と騒がれた古墳には、いまも解けない謎がある。
奈良県明日香村の高松塚古墳。万葉集にゆかりの深い村では古代、宮都が置かれ、聖徳太子が政務を執り、日本の礎が築かれた。
1972年3月27日、この村のニュースが新聞各紙を通じて全国を駆け巡った。
その6日前、高松塚古墳の内部から彩色がほどこされた壁画が見つかっていた。
朝日新聞も朝刊1面でその大発見を伝えた。大阪本社版の見出しにも最大級の言葉がおどっている。
「法隆寺級の壁画」
「戦後最大の発見」
仏の世界を描いた法隆寺の金堂壁画は中国・敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)、インド・アジャンター石窟群と並び、「アジア仏教美術の至宝」と称される。紙面の破格な扱いは、これらと肩を並べるという判断だった。
赤、青、黄、緑などの華やかな極彩色で描かれていたのは、計16人の男女の人物群像。中国古代思想の方角の守護神「四神」のうち、青竜、白虎、玄武もあった。朱雀があったとみられる南壁は鎌倉時代の盗掘で壊されていたという。西壁の4人の女子群像は「飛鳥美人」と呼ばれ、特に名高い。
三角や丸など抽象的な文様が描かれた「装飾古墳」は北部九州を中心に確認されていた。
だが、人物や事物が鮮やかに色づけされた写実的な壁画はそれまで国内で発見例はなかった。
人物の髪形や服装、所持品なども細かく描写され、大化の改新から遠くない時代の歴史や文化を伝える第一級の史料となった。
絵そのものは、高句麗の古墳との類似性が指摘され、中国・唐の技法の影響もみられる。歴史的価値だけでなく美術的価値も高い。
極彩色壁画は古代史ブームを巻き起こし、教科書に掲載され、一般社会の考古学への関心を高める牽引(けんいん)役となっていく。
だが、いったい誰が埋葬されているのか、「飛鳥美人」はどんな人たちなのか……。さまざまな謎を残しながら、高松塚古墳は2022年3月21日、極彩色壁画の発見から50年を迎える…