第1回米軍基地が来る、でも生活は楽に「それなら黙っておいたほうがいい」

有料記事沖縄から考える民主主義 復帰50年

福井万穂 山崎毅朗 木村司
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 波の音が聞こえる。

 20人乗りのバスは、民家が点々とある東海岸を走っている。週2、3回、このバスに乗る新垣恵美子さん(67)は青い海を見ていると、名古屋での生活をときどき思い出す。

 デパ地下で総菜を売っていた。あの頃の自分は、米軍基地の新たな負担を受け入れたふるさとのニュースをみて「国からお金が落ちれば、仕事も人口も増えて、いいんじゃない」と思っていた。

 30年住んだ名古屋を離れ、母の介護のために沖縄県名護市の実家に戻ったのは還暦前。医療や年金が気がかりなのに、基地問題、日米安保、抑止力……。日々のニュースや地元の選挙は、縁遠いはずの言葉が飛び交った。

 居間でくつろいでいると、窓ガラスが震えた。上空を通る米軍機のせいだとわかった。子どものころは気づかなかったのかもしれない。5年前の暮れには、そばの浅瀬で、オスプレイが真っ二つにわれて見つかった。それからしばらくして、5キロ先の辺野古の海で、埋め立てのための土砂を入れる作業が始まった。

 40キロほど南の人口密集地にある米軍普天間飛行場をなくすため、代わりの基地をここに移すという。新たな基地なんて認めたくない。そう思っていた。でも、気持ちは揺らいだ。

「今の市長になって生活が楽に」

今年は、沖縄の本土復帰から50年になります。取材班は、沖縄そのものを伝えるだけでなく、日本社会がいかに沖縄と向き合ってきたのか、日本にとって復帰50年とは何か、という視点を大切にしたいと議論を重ね、取材を続けています。まずは、1月23日に投開票される名護市長選を前に、民主主義や地方自治について考えます。

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