佐賀の乱を「一撃で抑えこまねば」 大久保利通の書簡、地元に寄贈

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林国広
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 1874(明治7)年、不平士族が起こした「佐賀の乱」(佐賀戦争)の鎮圧にあたった明治政府の内務卿、大久保利通(1830~78)の書簡1通が、佐賀市佐賀城本丸歴史館に寄贈された。書簡の中で大久保は、戦いが各地で拡大する危機感から「一撃で抑えこまねば政府の権威を示すことはできない」という趣旨の考えをつづり、早期鎮圧への強い決意を示している。

 書簡(縦18・7センチ、横155・6センチ)は1874年2月10日付で、大久保から腹心の伊藤博文(1841~1909)にあてて書いたもの。同館の芳野貴典学芸員によると、その内容などから大久保直筆の可能性が高いという。

 書き出しは「たった今帰宅し、お手紙拝見しました」とあり、伊藤から届いた手紙への返事であることが分かる。

 そして、佐賀へ派遣される鎮圧部隊が大阪の部隊であることを指摘。「(大阪の部隊は)実戦経験がないため案じられるところだ。(中略)お知らせいただいた通り、十分な準備を整えることが当然だ」と記している。

 その上で「一撃で抑えこまねば政府の権威を示すことはできない重要なタイミングなので、(軍隊を)増員することが最善と考える。もし初期対応を誤るようなことがあっては、ことは決してこれだけではすまない」と、早期鎮圧へ強い決意を示している。

 続いて、伊藤に対し「どうかあなたの聡明(そうめい)な考えを話してください」とアドバイスを求めている。

 大久保はこの書簡を書く直前、政府から事態収拾に向けた全権委任をされている。このため、書簡の中では、山口県出身の木戸孝允(1833~77)の同意を得て、同県部隊の投入についても進める意向を示している。

学芸員「地元で所蔵に意義」

 書簡は巻物状で保管されてお…

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