真珠湾攻撃で開戦、は誤った認識 忘れられた1時間5分前の陸軍上陸

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聞き手 編集委員・大久保真紀

 1941年12月8日は、日本では、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった日として知られています。その1時間前にマレー半島に上陸していたことを思いおこす人はさほど多くはないでしょう。そこにこそ日本が80年間、直視しようとしない歴史がある、と琉球大名誉教授の高嶋伸欣さんは言います。話を聞きました。

たかしま・のぶよし 1942年生まれ。琉球大学名誉教授。専門は人文地理。東京教育大(現筑波大)付属高校の社会科教員を経て大学教員に。著書に「旅しよう東南アジアへ」など。

 ――開戦80年です。

 「日本では真珠湾攻撃でアジア太平洋戦争が始まったという認識が一般的ですが、それは違います。海軍の真珠湾攻撃よりも1時間5分早く、陸軍がマレー半島の英領コタバルに上陸し、英軍と戦っています」

 「海軍の真珠湾攻撃と陸軍のマレー半島上陸は当初は同時に行う予定でした。米ハワイが一番油断する日曜の夜明け時に設定されていました。しかし、それでは航空母艦から戦闘機が飛び立ってから暗闇の中で編隊を組まなくてはならず、技術不足の戦隊があったために危険だということになり、飛び立つ時間が夜明けごろに変更になりました」

 「それで真珠湾攻撃の時間は1時間半繰り下げることになったのですが、海軍がいまさら陸軍には連絡できない、借りを作れないと、そのままにしたために時間差が起きました。最初からお粗末でした。コタバルの方は、海が荒れていたため、上陸に時間がかかって予定より少し遅くなったのです」

 「なのに、テレビや新聞は真珠湾攻撃から始まった、と報道してきました。今夏にあった共同通信社と加盟社で構成する日本世論調査会の世論調査では『1941年12月に日本が米ハワイの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まったことを、あなたは知っていますか』という設問がありました。質問の前提の事実が異なります」

「開戦=真珠湾攻撃」の認識は、奇襲作戦成功という大戦果だけではありません。マレー半島で100回以上の現地調査を行った高嶋さんは、日本がもう1つの開戦に関心を向けたくない心理が働いたと分析し、理由としていくつもの不都合な真実をあげます。

 ――私も3年前に、コタバルに奇襲上陸した元日本兵を取材したことがあります。なぜ誤った認識が広まったのでしょう。

 「真珠湾の奇襲攻撃で大戦果…

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