大久保真紀

編集委員
専門・関心分野子ども虐待、性暴力、戦争と平和など

現在の仕事

2019年スタートの企画「子どもへの性暴力」取材班キャップを務めています。性暴力については旧ジャニーズ事務所の性加害問題も含めて被害当事者たちの取材もしています。2023年夏から随時掲載の「戦争トラウマ」も取材・執筆をしています。

バックグラウンド

1987年入社。盛岡、静岡両支局を経て東京本社と西部本社の社会部などに所属してきました。旧厚生省の担当をした時期もあります。
中国残留日本人孤児や買春の被害であるアジアの子どもたち、虐待を受けている日本の子どもたち、社会からの差別・偏見に苦しんできた遺伝性難病の患者や家族など、弱い立場にある人たちの「声なき声」に耳を傾ける取材を多くしてきました。
鹿児島総局デスク時代は、住民ら13人が公選法違反の罪に問われた志布志事件で、総局長とともに取材を指揮、捜査当局による事件の捏造を明らかにしました。
読者の方々から寄せられる励ましやご意見を支えに仕事をしてきた結果、2021年度日本記者クラブ賞を受賞させていただきました。

仕事で大切にしていること

頭でっかちにならず足を使う、話を聴くという現場主義に徹してきたつもりです。子どもの虐待問題では、児童養護施設に計80日間泊まり込み、児童相談所にも1カ月密着しました。
できる限り相手を理解したい、できる限り対象に迫りたいと思って取材をしていますが、同時に、記者としては「限りなく近く、しかし、同化せず」を大切にしています。

著作

  • 『ルポ 児童相談所』(朝日新聞出版、2018年)
  • 『「小さないのち」を守る  事故、虐待、いじめ……証言から学ぶ予防と対策』(朝日新聞出版、2018年)=共著
  • 『志布志事件は終わらない』(耕文社、2016年)=共著
  • 『献身 遺伝病FAP(家族性アミドイドポリニューロパシー)患者と志多田正子たちのたたかい」(高文研、2014年)
  • 『児童養護施設の子どもたち』(高文研、2011年)
  • 『虚罪――ドキュメント志布志事件』(岩波書店、2009年)=共著
  • 『「冤罪」を追え――志布志事件との1000日』(朝日新聞出版、2008年)=共著
  • 『中国残留日本人――「棄民」の経過と、帰国後の苦難』(高文研、2006年)
  • 『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』(八朔社、2004年)
  • 『明日がある――児童養護施設の子どもたち』(芳賀書店、2003年)
  • 『明日がある――虐待を受けた子どもたち』(芳賀書店、2002年)
  • 『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』(自由国民社、1999年)
  • 『買われる子どもたち――無垢の叫び』(明石書店、1997年)

論文・論考

  • 『ジャニーズ性加害問題と連載『子どもへの性暴力』シリーズ』(社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」CAPニュース 2023年秋号)
  • 『声なき声を可視化して使命果たす──隠された真実と問題が社会を動かす』(日本新聞協会「新聞研究」2023年3月号)
  • 『「親の反応が二次加害になりうることを知って」――記者が語る、子どもの性被害に大人は何ができるか』(yahoo ニュース オリジナル特集、2021年9月21日)
  • 『子どもの命を守るため 死の要因を検証、国の手引が壁に』(朝日新聞「記者解説」、2022年9月5日)
  • 『女性支援法、生かすには 暴力・貧困…困難に応じ丁寧な対応を』(朝日新聞「記者解説」、2022年6月20日)
  • 『児相の一時保護 司法審査導入、早急に実現を』(朝日新聞「記者解説」2021年5月3日)
  • 『揺さぶり、相次ぐ無罪 処罰と乳幼児の安全、区別し判断を』(朝日新聞「記者解説」、2020年12月21日)
  • 『「子どもへの性暴力」を実名報道 被害者の覚悟と勇気、受け止めて』(朝日新聞社「ジャーナリズム」2020年7月号)
  • 『裁判員制度は民主主義の基盤をつくる』(日本評論社「あなたも明日は裁判員!?」2019年)

タイムライン

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「継続的な性加害」、社福法人前理事長らに賠償命令 東京地裁判決

 障害者施設などを運営する社会福祉法人「グロー」(滋賀県)の北岡賢剛・前理事長(66)から性加害を受けたとして、元職員の女性ら2人が賠償を求めた訴訟で、東京地裁(野口宣大裁判長)は24日、性加害を認めたうえで北岡氏に220万円、グローに440万円の賠償を命じる判決を言い渡した。  判決によると、北岡氏は2012~19年の間に①自身が理事を務めていた別の社福法人職員の女性に、「男と最近やっているのか」と発言したり、タクシーで体を触ったりした②グロー元職員の女性に、キスをしたり性器を触ったりした。  判決はまず、北岡氏の性加害を性的欲求を実現させるための「継続的な不法行為」と認定した。そのうえで、改正前の民法の消滅時効の成立は、「最後の被害」から20年の提訴までに3年が過ぎたかで判断すると説明。最後の被害が19年だった別法人の職員への行為は時効を認めず、北岡氏に賠償を命じた。  グロー元職員への行為は時効が成立したと判断した。ただ代表者向けのハラスメント講習がないなど職場環境を整える義務を怠ったとして、グローの賠償責任を認めた。  北岡氏は、厚生労働省の社会保障審議会障害者部会や内閣府の障害者政策委員会の委員などを務めた。 ■事実認定に「安堵」、心身の不調も  「安堵(あんど)して、涙が出た」。記者との間についたてが用意された判決後の会見で、北岡氏への賠償請求は認められなかったものの、性暴力の事実が認められたグロー元職員の女性は声を震わせた。  退職直後の2019年9月、支援団体に相談して「それはレイプだ」と指摘され、自らの被害を初めて理解した。「泣き寝入りできない」と提訴を決めたが、周囲が信じてくれないのではと恐怖を感じ、たびたび悪夢に苦しんだ。  心療内科で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、2年近くカウンセリングに通った。最近でも、裁判の期日の前後は発熱や頭痛、下痢などに悩まされてきた。 ■「被害の訴え、極めて難しい」  判決は、女性の被害についてグローの責任は認めたが、女性が北岡氏からの叱責(しっせき)に対して意見を言っていたことなどから被害を訴えられない状態ではなかったと判断し、北岡氏への請求について時効の成立を認めた。  女性は「意見を言った後にパワハラを受け、やっぱり性暴力については訴えられないと思った」と振り返る。「北岡氏は職務上すべての権限をもち、福祉業界でも重鎮だった。圧倒的な力のある人からの性暴力が続くなかで被害を訴えるのは極めて難しい」と話し、時効の成立は納得できないとした。  もうひとりの原告の女性は時効の成立が否定され、北岡氏への請求が認められた。提訴前から今にいたるまで精神科に通い続ける。女性は「北岡氏には謝罪を求めてきたが、一度も謝罪を受けていない。謝ってほしい」と訴えた。 ■弁護士「賠償額あまりにも低い」  代理人の角田由紀子弁護士は判決が北岡氏の行為を「性的欲求を実現させるためにした一連一体の行為として、継続的な不法行為」だと認めたことを評価し、類似の事件にも波及しうるとの見方を示した。ただ、「人格的利益の侵害と言いながら賠償額があまりにも低い」と述べた。  旧ジャニーズ事務所創業者の故ジャニー喜多川氏の性加害問題でも、絶対的な権力者からの性加害の告発の難しさが浮き彫りになった。性暴力でダメージを受けた被害者が自らの被害を訴えることがいかに難しいか、「裁判官は十分に理解できていない」とも角田弁護士は批判した。

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「継続的な性加害」、社福法人前理事長らに賠償命令 東京地裁判決

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死を待つ恐怖、PTSDだけで語れぬ被爆者の心の傷 精神科医に聞く

■被爆者のトラウマ㊦  来年は広島、長崎に原爆が落とされてから80年になります。被爆者はさまざまな病や障害を負わされ苦しんできました。1979年から被爆者治療にかかわる精神科医の中澤正夫さん(87)に、被爆者たちが抱える「心の被害」について聞きました。  ――被爆者が抱えるトラウマについての著作がありますね。  2007年に「ヒバクシャの心の傷を追って」(岩波書店)を出しました。原爆被害は「体」「心」「暮らし」の全般にわたりますが、心の被害についての調査研究はあまり行われてきませんでした。それで、私は心の傷について注目しました。  1979年に、いまも嘱託医を務める代々木病院(東京都)精神科に赴任して被爆者治療にかかわるようになりました。病院に被爆医療科があり、絶えず精神不安定な患者が送られてきたり、アドバイスを求められたりしてきました。  ――被爆者は心的外傷後ストレス障害(PTSD)につながる、想像を絶する過酷な体験をされた方が多いのではと思います。  2003年に長崎市が被爆者手帳保持者全員を対象に行った健康意識調査(回収率72・2%)でPTSDを判定する簡易テストが使われ、PTSDの可能性が高いとされる高得点だったのは男性が31・2%、女性が32・4%という結果が出ています。  私も、多くの被爆者が重篤なPTSDをいまも引きずっていると考えています。心の被害についてPTSDを取り上げて書いたのが、前述の著作です。しかし、被爆者からは反発もありました。「そんなものではない」「PTSDに単純化しないでほしい」という反応です。なので私としては、被爆者の心の問題をPTSDに一元化することには抵抗があります。  ――PTSDだけでは語れないということを前提としてうかがいますが、被爆者が抱えるトラウマの特徴は何でしょうか。  被爆者のトラウマは、人類史上のいかなる出来事にも比較し得ない激烈なものだと言えます。そして、なかなか薄れないトラウマだということ。それが一番の特徴です。  災害や交通事故などのトラウマ体験は、何かのきっかけで思い出しても、6カ月ぐらいたつと薄れていくのが普通です。しかし、原爆体験はそうはいきません。ちょっとしたことがきっかけで、「あの日」の状況が、恐怖と動悸(どうき)や発汗、めまいなどの自律神経症状を伴って脳裏に再現されてしまいます。  突然の大きな物音、稲妻の閃光(せんこう)、肉の焼ける臭い、はげた頭の人、(死体と同じ感触の)ぐにゃっとしたものを踏んだときなど、きっかけはさまざまです。 ■被爆者は「いつ配達されるかわからぬ死を待つ人」  ――いわゆるフラッシュバックを起こすきっかけとなるトリガーと呼ばれるものですね。  被爆者の多くは、そうした悲惨な体験を連想させるような刺激を避けて行動していますが、避けられないものもあります。それは、知人や親類の死です。とても厳しいトリガーになってしまいます。  なぜなら、「次は我が身か」と思ってしまうからです。放射線による後障害の不安を常に抱え、被爆者は「いつ配達されてくるかわらかぬ死を待つ人」と表現した方もいます。自分自身が病んだときもフラッシュバックの危険性が最も上がると考えられます。  「あの日」に引き戻されるきっかけになることが年月を経ても起こり続けるので、被爆者の心の傷は癒えることはありません。これこそが、いまも日々続いている被爆者の心の傷の中核です。  阪神・淡路大震災にたとえれば「震度5レベルの余震」が79年間続いているのに等しいとも言えます。それが、ほかのPTSDとは全く違うところだと考えます。 ■被爆者を苦しめる「見捨て体験」  ――被爆者の心の傷とは、具体的にはどのようなものなのでしょう。  一言でいえば、自分だけがなぜ生き残ったのか、ということだと思います。それと、自分が生き残るために、あの混乱の中とはいえ、むごいことをしてしまった、ほかの人を見捨ててきてしまったという思いです。  たとえば、ある男性は、原爆で家がぺしゃんこにつぶれ、その中に母親が閉じ込められました。助け出せないでいるところを、火の手が迫ってきて、生きている母親を置き去りにせざるを得ませんでした。  その「見捨て体験」に対して、男性はどうしたら贖罪(しょくざい)ができるのかを晩年になってもずっと悩んでいました。話をしてもらうと猛烈なフラッシュバックが起こって、泣き出して話せなくなりました。  彼のように、被爆者は自分が生き延びるために、救助が必要な多くの人、身内や近所の人、あるいは見知らぬ人も含めて「見捨て」てきています。自分も傷つき、逃げるのが精いっぱいで、とても救助の力も手段もない状況だったのですが、それでも何もしてやれなかったことをずっと悔いている人が多いです。  「生き残ったことのうしろめたさ」「自分は他人を見捨てることによって生きながらえた」という思いは、被爆者に共通しています。  ――仕方がなかった、とはならないのですね。  たとえば、当時16歳だった女性は、倒壊した家の下敷きになった近所のおばさんに「ふたりを連れて逃げて!」と懇願されて、2人の女の子の手を引いて逃げました。ですが、途中で2人とはぐれてしまいます。女性は「いくら忘れようとしても、自分が殺したであろうふたりの女の子のことが忘れられない」と言い、死の床でも「あの娘たちは……」と姉妹の名前を呼んでいました。 ■差別や偏見、遅れた救済策  ――そういう思いをうかがうと、こちらも苦しくなります。  被爆者は被災後に感情まひにも陥りました。多くの被爆者は物体を扱うように淡々と死体処理にあたっています。喜怒哀楽や同情、共感といった人間らしい感覚がまひ・喪失しているため、通常では考えられないような行動や振る舞いをするわけです。  そうした感情まひは、本能的な自己防衛なのですが、死んだ人を人間らしく葬ることができなかったという思いは多くの被爆者が抱えています。後になってから「(遺体を)モノのように扱った」「何も感じなかった」として、人間として許されないことをしたと悔い、それが自責感につながり、深い心の傷になっています。  ――中澤さんは、被爆者の心の被害を考えるとき、被爆者ならではの「生きる悩み」があるとおっしゃっています。  多くの被爆者が偏見や差別を味わっています。「ピカだ」と子どもたちは仲間外れにされたり、若者たちは被爆者だとわかると結婚が破談になったりしました。その影響は2世の結婚にまで及ぶこともあります。そのため、長い間、被爆したことを配偶者にも話していない人も珍しくありません。  また、家族を失い、家を失い、自ら障害を受けた被爆者の人生はそう順調にいくはすがありません。しかも、公的な救済は遅れに遅れました。人生が思い通りにいかない原因は原爆だと思っているわけで、それに対して正当な謝罪や償いがないことも、被爆者に苦悩と忍従を強い、心の被害を深めるものになったと考えられます。 ■苦しみの中から覚醒してあらがう力を得た人たち  ――被害の実相を語り続けてきた日本原水爆被害者連絡協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞が決まりました。戦後80年を迎える中、体験を語れる人は少なくなっています。  被爆者医療に尽力した被爆医師の故・肥田舜太郎氏によると、自分の被爆体験を語れる人は、被爆者の5%にも満たなかったといいます。また、自分が被爆者であることさえ語れないでいる人は40~50%いるとも言われてきました。その多さに、被爆者の「心の被害」の本質があるのかもしれません。  自らの被爆体験を語ること、手記を書くことは、過去を思い出すことですから、最も厳しいフラッシュバックのトリガーになります。なので、体験を語り核廃絶を訴える被爆者たちは、ある意味、苦しみの中から覚醒してあらがう力を得た人と言えます。  ――何にあらがうのでしょうか。  被爆者の生活史研究を進めた社会学者の故・石田忠氏は、被爆者は自分という人間を原爆に対峙(たいじ)させたときに「抵抗」という思想に立たない限り生きていくことはできない、という見方を示しています。  いまの被団協で中心的に活動している人たちも「このまま死んでいっていいものか」と抵抗に立ち上がっている人たちと言えるのではないでしょうか。  被爆者の中には、生きていくため、被爆した当時の記憶を喪失している人もいます。そういう方は「なにも記憶していないことが申し訳ない」「伝えられなくて申し訳ない」と口にします。でも私は被爆者には、体験を語ろうが語るまいが、「ただ生きているだけでいい」と言ってきました。  ――被爆者の心の被害は、さまざまな側面が複雑に絡み合っています。  被爆者の心の被害の中核にあるのは、史上最悪のPTSDを抱えているのに被災の責任を誰も取らなかったことです。しかも放射能による後障害やそれへの恐れが次々と新たな心的外傷を形成するという最悪のものです。  「放射能が一生追いかけてくる」ことが、被爆者を苦しめ続けています。そこに原子爆弾の悪魔性があります。  <なかざわ・まさお> 1937年群馬県生まれ。佐久総合病院、群馬大学付属病院などを経て、1979年から代々木病院精神科に勤務。長年、長野県、群馬県の山村を研究フィールドに地域ぐるみの診療を実践。NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の理事も務める。

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「信心利用された」 師と仰いだ住職からの性暴力 弟子の尼僧が会見

 千葉県在住の40代の女性が11日、千葉市内で会見し、尼僧として奉公していた本門仏立宗の妙恩寺(同県東金市)の住職(59)から「信心を利用されて性暴力を受けた」と明らかにした。「同じように苦しい思いをしている人たちがたくさんいると思う。だれか一人にでもこの声が届いて、少しでも気づきや力になれば」と会見した理由を語った。  女性によると、女性は2021年から修行を始め、22年6月に出家。師匠である住職から「師が絶対である」「師が白いものを黒だと言えば、それは黒」などと言われ、絶対的な服従関係を強いられてきたという。  住職は、昨年7月に女性の服を脱がせて胸をもみ、性器を触るなどしたとして、今年5月に準強制わいせつの疑いで逮捕され、6月に起訴された。先月、千葉地裁八日市場支部であった初公判で公訴事実を認めた。  女性によると、昨年7月から寺を出る11月まで日常的に胸を触られるなどの性暴力を受けていたという。  女性は会見で、昨年11月以降、周囲や本門仏立宗本庁にも相談したが、本庁からは「(行為を否定する)住職を信じる」などと言われ、十分な対応をしてもらえなかった上、住職側に立つ信者らから「恩をあだで返した」「お金のためにでっちあげた」などと言われ、二次加害を受けたと声を詰まらせながら訴えた。  「住職は位の高い僧侶だ。自身を仏様に一番近い存在だと言っていた。その立場を利用して行った性暴力と、住職が私にすべて非があるように周囲に信じ込ませたことは、非常にひきょうで卑劣で非人道的なものだ」  女性は現在、性暴力の影響で心身が不安定で、月に1~2回精神科に通院し、寝たきりの状態の日もあるという。  それでも、会見をしたのは、天台宗の寺の僧侶から性暴力を受けたと四国の尼僧が告発したとの記事を1月末に読んで「勇気づけられた」として、「自分と同じような被害を受けている人の助けになりたいという思いがある」と話した。

「信心利用された」 師と仰いだ住職からの性暴力 弟子の尼僧が会見
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