隔離の闇を照らす ハンセン病療養所の人々が描いた「光の絵画」

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高木智子
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 隔離という暗闇に光を――。「光の絵画」と呼ばれる約900点の作品群が、ハンセン病の療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志(こうし)市)に残されている。生きる心を支えるために独学で描いた、素朴で、個性的な絵の数々。その背景には、会えなくなった家族や遠い故郷への思いがにじむ。

 黄色に染まった菜の花畑を、楽しそうに歩く赤い帽子の子どもたち。行列の奥には満開の桜がある。

 「この絵、映(ば)えるね」「シェアしよう」「色使いがいいよね」

 11月に熊本市であった絵画展。「遠足」という油彩画を鑑賞した大学生たちは、絵の解説に目を落とすと沈黙に包まれたという。

 〈6歳でハンセン病を発病した木下今朝義(けさよし)さんが学校に行っていたのは1年足らず〉〈菜の花畑を歩いた遠足は、仲間に入れてもらえなかった木下さんが、行動をともにした唯一の記憶だったのかもしれません〉

 木下さん(2014年没)は宮崎県生まれ。発病後、先生から「もう学校に来るな」と言われたという。隔離政策が終わった1996年には82歳になっていた。この時に絵の題材に選んだのが、幼い頃の記憶だった。

 木下さんが所属した絵画クラブ「金陽会」は、特効薬が出てきた53年、15人ほどで始まった。毎週金曜日に集まるから「金曜会」。ほどなく「暗い気持ちは絵を鈍らせる。つらくても、あの太陽のように明るく生きよう」と吉山安彦さん(92)が提案し、太陽の文字から「金陽会」と改めた。

 病が癒えても、療養所に閉じ込められた。17歳で入所した吉山さんも死ぬことばかり考えた。絵の仲間も苦しい思いをしながら生きていた。「生き抜くために、打ち込むものがほしい」。思い出したのは、幼いころ先生に「絵がうまいね」とほめられたこと。

 金陽会のメンバーの多くは世を去りました。残された作品の一部を、蔵座さんの解説とともに紹介します。

 鉛筆画水彩画、そして油彩…

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